横浜市 港北区 鶴見区 在宅 訪問マッサージ・リハビリ・びわ温灸はたんぽぽマッサージ治療室

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たんぽぽ日和

この花の名は?

 

公園で見つけた花。美しい・・初めて見ました。

早速ハナノナというアプリを出してスマホをかざすと、

「シラーベルビアナ」

ついでにネットで検索。

「地中海沿岸に自生する球根植物・・」 

名前も素敵! 途中休憩しながらしげしげと眺めました。

 

朝ドラ「らんまん」の主人公も、牧野富太郎という植物学者です。植物を愛し、植物と話をし、植物の事しか頭にない主人公。朝井まかての「ボタニカ」という富太郎の評伝を読んでいたので、この方に振り回される高知の造り酒屋の人たちや家族のことを知っているだけに、最初からイタミを覚えながら観ています。一家にこういう人が1人いたら、どんなに世界的に有名になろうとも、家族は不幸です。いや、こういう人に振り回される事をよしと思えば、幸せなのかもしれません。私はイヤだけど。^o^

 

この坂を登れば蕎麦屋シャガの花

 

山に登ると、左手に蕎麦屋「風の陣」が見え、そこを過ぎればタエさんの施設の屋根が見えてきます。

タエさんの職員との確執は少し下火になりました。タエさんは、最近テレビを見るようになり、うつのトンネルから抜けつつあります。

シャガの花はこれ。この花も好きですね。

 

 

 

 

 

 

 

あたたかや🌷

 

前籠に白寿の祝ひのクレマチス

 

99歳の誕生日を迎えたYさんに、白いクレマチスの花をプレゼントしました。

部屋中花でいっぱいのYさん、思いの外喜んでくださり、風邪が治ったばかりでそろそろ活動開始、という頃でしたが、暖かくなった庭に出て、クレマチスを植えてくれました。

それが根付いて、今花盛りなのです。

私も嬉しい!^o^   Yさんもすっかり元気になりました!

 

帰宅して娘と麦酒(ビール)花疲れ

 

花見に行こう、ではなくて花見を見に行こうと、娘と自転車で鶴見川を走りました。🌸

桜の土手は、たくさんの家族や仲間たちが、バーベキューをしたり、テントを張って飲めや歌えの真っ最中。これを見たかった!

ゆっくりと自転車を押しながら、しばし花見客になって花吹雪のなかを桜を愉しみました。

帰りにビールやおかずを買ってきて、わが家でも花見をしましたとさ。(o^^o)

 

うつむきて自転車(チャリ)漕ぐ必死春嵐

 

3日ほど、春の嵐が吹き荒れました。

自転車の仕事は、強い風の日が一番怖い。

先日花見をして楽しんだ川原がとくに怖くて、橋の上はうつむいて、慎重に漕ぎました。すれ違う自転車からも緊張感が伝わってきます。

この雨で桜はすっかり散りました。

 

努力義務となれば春愁のヘルメット

 

ヘルメット、どうしようかなあ。マスクはさっさと外して任意、してるけど、ヘルメットは努力義務なんだよなあ。頭蒸れるし、暑いし、面倒いし、困ったなあ。

 

あたたかや夜干しの窓に葉のさやぎ

しづけさや選挙の朝に初音聞く

 

ベランダで聞いた鶯の声、しばし聞き惚れました。日曜日の選挙の朝はじつに静かで、どうせ自民は勝つんだろうなあ、でも貴重な一票投じてこないと、と町民館に出かけました。

 

写真に使わせていただいたのは、大好きな北海道の画家真野正美さんの作品です。

 

 

 

 

 

 

 

 

春の夢

春の夢亡夫(つま)と手繋ぎ野を歩く

 

今朝の夢です。起きた時、甘美でしあわせな気持ちで胸がいっぱいでした。

私たちは若く、長い長い散歩をしています。町だったり、農道だったり、野道をどこまでも手を繋いで歩いています。走ったり、飛んだり、途中夫が草むらに隠れてわっと驚かせてみたり。まるで出会った頃に戻ったような夢。

ドローンで俯瞰したように、道はどこまでも続き、この先には駅があるので、そこまで歩こう、と夫に話しかけていました。

夫が亡くなって26年。こんな夢初めて。(^^)

 

熱海は雨途切れぬお喋り春の旅

五十五年飛び越え友と花の旅

 

中学時代仲良しだった3人が熱海で集まり、楽しい時を過ごしました。

途中それぞれに会ってはいるのですが、3人が合流してじっくり話すのは初めてです。

55年の歳月の間に起こったこと、家族のこと、それぞれの友だち、先生の話題、と話が尽きません。ご馳走を堪能し、お湯♨️を満喫しました。

3人の共通点は、今おひとりさまであることだけ。

孫も大きくなっていいおばあさんたちも、話し出せば中学生に戻っています。

会った日は雨でしたが、次の日は曇り日で、熱海のハーブガーデンを歩きました。桜は満開、石楠花、チューリップ、レンギョウ、デイジー、マーガレットなどなど、ハナノナアプリで名前を検索したりしながら大いに楽しみました。もちろんお喋りは途切れません。^o^

再会を約して別れましたが、本当に楽しい旅でしたね!

 

 

 

 

美しき雛🎎

美しき雛の主(あるじ)は白寿かな

 

もう家のお雛様も片付けたし、大分ブログサボっていたので、遅くなりましたが、雛のことから始めます。

このお雛様は、Yさんのもので、娘の頃からずっと飾っている雛人形。八段飾りで、本格的に飾れば、部屋いっぱいになる豪華絢爛なもの。いまはお内裏様とお雛様だけを飾られています。70年ほど経つその雛は、本当に美しく保たれていて、少しも年月を感じさせません。

その雛の主は、3月19日に99歳になるYさんなのです。

Yさんは、お雛様と同じで、年を感じさせない方。いつまでもお綺麗で、頭はしっかりしていて、お茶の先生で、しかも歌人です。私の目標だと思っています。娘さんやお孫さんとの集まりまでに、しつこい風邪をなんとか退散させねば、と頑張っているところです。

 

嫁の春手話通訳者合格す

 

息子の嫁は、福岡県久留米市役所で手話通訳の仕事をしていますが、この春県の登録手話通訳者の試験に合格しました。

家では息子と手話で話し、町の聴こえない人たちの力になり、手話の世界で活躍している嫁ですが、この世界にも高い壁があって、手話通訳士の国家試験に毎年挑んでいます。

もっともっとこの世界を広げる必要があるのに、なかなか育たない手話通訳。今年は県の試験に通りましたが、毎年ハードルを上げる国家試験を憤る私です。でも、ともあれ、嫁、合格おめでとう!^o^

 

ああ春の決意や入れ歯のひととなる

春の抜歯醒めて己の口になる

 

歯は、本当に人の生活を2分します。

私の父は、64で亡くなりましたが、歯は丈夫で、殆ど治療しないで食生活を楽しんでいました。それは弟に遺伝しています。

ところが母は、昔から歯医者と縁が深く、晩年は総入れ歯。「歯にはひと財産使った」とよく言っていましたが、作った入れ歯はとても自分に合っていて、よくお煎餅をパリパリと食べていましたね。^o^

それを受け継いだのが、私です。(^^;

ほぼ医者に行かない私も、歯のメンテナンスは3ヶ月おき。それでも年々歯の不具合が見つかります。そして・・

とうとう入れ歯、しかもブリッジもダメになったため、3連の入れ歯を作ることになりました。ブリッジを引っ掛けていた歯が割れてしまったため、その歯を抜いたのが一昨日。久しぶりの麻酔は口の感覚を奪います。

でも受け入れるしかありませんね。(/ _ ; )

 

ほぼ一日一句を目指して頑張っています。

 

春まとひ追いかけてくるしゃぼん玉

尽くしたり辛抱もするやつくしんぼ

再会の友は補聴器養花天

「はらへったー」春の公園の大合唱

 

施設のタエさんへのハラスメントは続いています。なんとか使えるようになったケイタイから、タエさんの訴えが聞こえてきます。

やれやれ、です。^o^

 

 

 

 

 

 

二月の怪

 

 

またしてもケーブル断線二月の怪

 

こんな内容は、ブログとして如何なものか、と思うけれど、どうしても書きたいという気持ちを抑えがたく書いてみます。お付き合いください。

 

障害者施設に住むIさんの話です。Iさんではなく、タエさんとします。

タエさんは75歳、頚髄損傷の四肢マヒの患者さんで、私が通い始めて15年になります。

頚髄損傷になったのは、飛び降り自殺の未遂、つまり助かってしまったからで、夫から離婚を求められた時、開いていた3階の窓から発作的に飛び降りてしまったのです。高校生から小学生までの子どもが3人残されました。

 

タエさんは今の施設に入所して23年。

はじめのころは車椅子で散歩したり、不自由ではあっても、絵や字を書いたり、機織りを楽しんだり、旅行にも行っていました。

カウンセリングを受けていましたが、だんだん手足が思うように動かせなくなり、私がリハビリマッサージに通うようになりました。

足は全く動かせませんが、両手は手先だけ動きます。頭はしっかりしていて、口も達者です。

 

そのタエさんが、この1年で、本当に寝たきりになりました。トイレも自力でできなくなりオムツになって、コロナ禍でもあり、自己管理もほとんどダメになりました。

ところが、これは介護者がそうしてしまったのだ、と客観的に私は思っています。

 

タエさんは、1年前まで何でも自分でできる患者でした。すぐにナースコールを押して、トイレに連れて行ってもらったり、必要なものを自分で電話してお店に持ってきてもらったり、タクシーを呼んでショッピングに行ったり、月一度来る息子(1人だけ)とご飯を食べに行ったり。通販を利用して服を買ったりしていたのです。お菓子がバスケットにいっぱい入っていて、冷蔵庫には好きな冷凍食品がぎっしり。

朝はお化粧もしていましたね。

 

1年前まで。

 

じつはタエさんは施設の棟が変わり、昨年春に今の棟に引っ越してきたのです。

コロナ禍で、しばらく月1回来ていた息子とも会えない日々が続いているうちに、タエさんの訴えが始まりました。

「職員のTが、私を叩くのよ」

「昨日は、お風呂に入れてもらえなかった」

前歯に職員の手が当たって、差し歯欠いてしまった時は、さすがに私も事務局に報告しました。

ところが、訴えても事務局は動いてくれませんでした。人手不足は切実な問題でしたし、何よりタエさんは認知症がひどくなっている、というのです。

タエさんのナースコールは隠され、排泄はすべてオムツに、そしてタエさんは鬱になりました。

この寒い冬、私が訪問すると、タエさんは毛布だけで寝ていたので、昨年掛けていた羽毛布団はどうしたのか聞くと、

「寒いからお布団かけて、と言っても、ないっていうのよ」

電気毛布は、なんとか事務局に探してもらって足下に敷いていましたが、そういえば、温かい羽毛布団があったはず。

これも、寒波到来に間に合うように、なんとか事務局に探し出してもらいました。

そして、冒頭の句にあるように、唯一の通信手段であるケイタイ(ガラケー)のケーブルが壊されるようになりました。

しかも、昨年秋から5本目です。

このケーブルについては、事務局に行って、断線されたケーブルを見せ、対応を迫りました。

毎日タエさんから電話が入ります。内容はほとんどが足の痛みと職員からのイジメの訴えです。

私とて人間、ケイタイが無ければ、この電話を受けなくて済むな、とどこかで考えてる。

もうじき充電が切れるので、これから電気屋でケーブルを買ってこなくてはいけません。

でも、もし私がこの手を離したら、タエさんはどうするだろう、と考えます。

一介の訪問マッサージ師の私が、越権行為では、とも考えます。

メディアで盛んに報じられている、医療現場や老人ホームでの職員や看護師によるイジメなんて、大いにありうる、表面に出るのは氷山の一角なんだ、としみじみ思うのです。

この1年、あれこれと迷い、悩んできました。

でも、ここで尻尾を巻いて逃げるのは私の生き方じゃありません。

たんぽぽさん、72歳、頑張るしかない、負けないぞ❗️

o(x)/

 

 

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