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たんぽぽ日和

2022年11月

息子の講演会❗️

土曜日は、杉並区で聴覚障がいの息子の講演会がありました。

杉並区は、夫が亡くなるまで住んだ所です。

そこでの講演会は、九州に住む息子の夢だったようです。

講演の内容は、息子が漫画家(サラリーマンをしながらですが)になった経緯が第1部、2部は亡き祖父の戦争体験と祖父との思い出です。

 

杉並ろう協会の主催で、初めての講演会だったので、進行があたふたしたり、手話通訳の人が(息子の手話を通訳する)なかなか慣れずに誤訳をしたりと、色々ありましたが、とても熱のこもった良い講演会でした。(親バカですが)若い日の夫や私の写真がアップされると、「お母さん、若い!」の声も。(o^^o)

 

小中学校、ろう学校、職業訓練校などの同級生や先生方も来てくださり、私も懐かしい方々に久しぶりに囲まれて嬉しかったです。

 

息子を育ててきた時と、今の聴覚教育は大分違ってきていて、口話法(補聴器をして手話を使わず、訓練で声を出すやり方)はなくなり、手話を言語として使うようになりました。

ですから、いまの難聴児は手話だけで話をしています。手話は外国語と同じ、コミュニケーションを取るためには、周りが手話を覚えて話さなくてはなりません。

私は手話ができず、息子とは口話だけで(伝わらない時は指文字や字を書く)話していますが、ほとんど通じますね。複雑な話をするときは、嫁のいる時は嫁の手話、2人の時は紙に字を書きながら話します。

声を文字に変換する器械もあるのですが、誤訳が多くて、笑ってばかりで話になりません。

何かの話をしていて、「あの人顔変だから」とか「そこにウンコ置いて」とか、どうすればそう聞こえるのか不思議ですが、文字に変換されると、お腹をよじって笑ってしまいます。💦

 

とまあ、口話法と手話でコミュニケーションをとる息子が言うには、「俺は口話で話ができて本当に良かったと思ってる。でも、手話が外国語のように市民権がもてて、皆んなが覚えてくれたらもっといいなとも思う」

そうですね。私も手話覚えなくては、とつよく思う母なのでした。(^^;

 

霜月雑感

Sさんが退院して1週間以上経ちました。

オムツ問題は、導尿カテーテルを看護師さんがつける事で、なんとか解決したそうです。

 

Sさん宅を訪問すると、妹のKさんは、3日めで大分介護疲れの様子でしたが、家での介護への覚悟ができたようです。それまでは、病院という選択肢を捨て切れず、在宅で看取る自信がない、と言われていました。

しかし、家政婦さんが、かなり勇み足で家をかき回すことがあり、姉妹にとってやりにくいという事だったので、在宅介護はストレス無く、風通し良く過ごす事が大切!とお話ししました。だって、Sさんにとって最期の大事な大事な時間じゃないですか。

Kさん、すぐにあちこちに電話をして、家政婦さんを変更することに成功、

「やっとこれでストレス無くなった〜!」

とふたりで喜んでいました。

でもでも、これからが大変なのです。

頑張れ!SK姉妹!

 

写真は、夕景の鶴見川。

寒くなってきて、家でもコタツを出したり、石油ストーブを使うようになりました。

今年は、上の孫の高校受験があり、息子一家の帰省がなくなったので、コタツに潜り込んで騒ぐ孫たちの声も聞けません。

静かなお正月になりそうです。  

 

さて、コロナの影響で、詩の同人誌の忘年会が中止になりました。本当に残念でなりません。

来週は、息子だけ上京します。土曜日に杉並区で講演会があるのです。息子にはもちろん、私にとっても懐かしい先生や友だちが聞きにきて下さいます。

夫と暮らし始めて、家族をもち、夫が亡くなるまで暮らした杉並。息子からラインで、「暮らした家や小学校(もうなくなっているそうですが)見に行かない?」との誘いがありました。

もう行かないだろうなあ、と思っていましたが、こんな機会がなければ足を運ぶことはないでしょう。

「はいはい、一緒に行ってみようか」

返信したら、きゅうに懐かしい日々が蘇ってきて、胸が熱くなりました。

 

 

 

 

 

 

 

最近のトイレ事情

え〜! もう11月? 早い!

カレンダーをめくりながら心で叫ぶのは私だけ?

11月は、私の誕生月であり、夫の命日のある月でもあります。

27日の命日には、詩の会の久しぶりの忘年会があり、その前日には聴覚障害の息子の講演会が杉並で開かれます。

長年家族と暮らしていた杉並なので、当日には息子の恩師や友だちなど、懐かしい顔ぶれが集まるそうです。大丈夫か、息子?

 

さて、今回の話題は、今とても気になっているシモの話「トイレ事情」です。

 

夫が亡くなってすぐ、私は横浜の職業訓練校に通い始めました。ヘルパー1級の資格を得るためです。

そこで、実習の講義の後、オムツを1枚ずつ渡されたことがありました。

「宿題です。この中に排泄してみること」

え〜え〜

 

頑張りました。夜オムツをして、トイレに行きたくなる度に頑張りました。

ところが、出ないのです。大はもちろん、小の方も一滴も出ません。お腹はぱんぱんなのに、です。膀胱炎になりそうになったので、諦めました。(^^;)

 

この時、トイレに行って出すことは、人間最後の、人間らしくあるための砦かもしれないな、と思いました。

 

しかし、です。

この、オムツに出す行為が、今どれほど重要か、が問われています。

末期がんのSさんが、入院中の緩和ケア病棟を退院勧告されているのです。

どうしてもトイレでしか排泄できないSさんは、足腰が弱り自力で立てなくなったので、介護士さん2人ががりでポータルトイレに移動しているのですが、この人手不足の折、度々のコールに病院側が音をあげたという訳です。

 

オムツにさえできれば、家での介護もできるのです。妹さんも頭を抱えています。

「だって、どうしても無理なんだもの」

わかるけど、なんとか頑張ってほしい!オムツにするだけじゃん!と思ってしまう私。最後の砦は、人間の尊厳を諦めることなのかもしれない。

 

トイレの話題もうひとつ。

施設に住む四肢マヒの患者Iさんは、ナースコールを隠されました。

度々トイレの要請があるのですが、Iさんの場合、重い身体を車椅子に乗せてトイレに連れて行っても、なかなか出ない。便秘なのです。

どんなに待っても出ないので、ベッドに戻すとすぐコール。何回も繰り返すのに、ほとほと疲れて、呼ばれて部屋に行くと、

「ごめんね。出ちゃった・・」

そんなやりとりがあって、Iさんがコールすると、

「オムツにしてください!」

とコールの向こうから職員さんの声。

そして、ナースコールが隠されました。

 

今、Iさんは、オムツに排泄しています。職員さんは取り替えに来ます。

人間の最後の砦は、かく壊される。これが現実なのです。仕方のないことなのかもしれません。(ため息‍)

 

今回は辛い話題にお付き合いくださってありがとうございました!‍♀️

 

うわあ。前回のブログにそっくりに近い内容が!(^_^;)

ボケたか、私! でも、余程思い悩んでいる案件なのだ、と察してお許しください。

m(._.)m