横浜市 港北区 鶴見区 在宅 訪問マッサージ・リハビリ・びわ温灸はたんぽぽマッサージ治療室

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たんぽぽ日和

美しい5月に🌹

更新を大分サボっているうちに5月!

5月は娘と息子の誕生日が続けてあり、あれも書こう、これも書かなくては、と思っているうちに日々が過ぎてしまいました。(^_^;)

 

写真は、昨夜届いた息子夫婦からの母の日の贈り物です。

これは私からのリクエスト。圧力鍋が壊れてしまって、ほぼほぼ深い鍋底フライパンだけで調理していたのですが、まさかこんなに高機能の圧力鍋が届くとは!

早速今夜はシチューでも作らなければ、と張り切ってしまいます。^o^

 

写真の後ろにテレビ画面が見えますが、鍋が届いた時、録画していた宝塚花組のレビューを見ていました。

明日海りおさんの引退公演で、とくにヅカファンという訳ではないのですが、BS放送で宝塚が見れるのなら、見ておきたいくらいの宝塚好きです。(o^^o)

歌舞伎も演劇も日舞も好き。映画も週2本は見てるかな?録画している中には、まだ見ていない映画や番組がいっぱい入っています。

でも、スマホを見る時間の方が長いかなあ。

YouTubeには、わくわくする内容のエンターテイメントや車中泊キャンプで日本を回るものや、海外の紹介動画や食べ物動画、可愛い動物や幼児の記録が待っています。ジャーナリストや様々な講演者の発信も勉強になるし、とても楽しみ。

そして、Facebookには、友達や知人の発信だけではなく、同じ興味を持つ人たちとの交流があり、これも開くたびにワクワク感半端ありません。今一番ハマっているのは、野草を食べたり薬草を作っている人たちの会です。私も野草を摘み始めました。

そうそう、たまにオンライン交流会に出席したりもします。

 

なんだなんだ、私の生活の大半はテレビやスマホに支配されているみたい。

いやいや、ちゃんと仕事してますよ。

仕事の途中の自転車道では、今まさに満開のバラを心ゆくまで鑑賞したり、昨日は患者さんの庭のドクダミをいっぱい摘ませてもらい(根も花も)、洗って干し始めました。お茶にします。これからは、野草を料理して食べてみたい、と考えています。

 

昨夜静岡の友達からラインが来て、田植えが終わった、やれやれ、とのこと。

田植えのシーズンです。美しい五月、大いに楽しみたいたんぽぽさんでした。

 

 

 

エピソード③ナオさんの話

 

ずっと更新をサボってましたが、いよいよ思い出に残る患者さんの話、パート3です。

 

イラストは、ナオさん、当時60歳。美人でしょう。

この写真(イラストにしました)は、亡くなる半年前のもので、北海道から親友が訪ねて来ることになり、近くのホテルに部屋をとって数時間過ごした時のもの。(隣は親友の方)

ナオさんはこの日のために洋服を新調し、髪をカットし、おしゃれをめいっぱいして、ヘルパーさんとタクシーに乗ってホテルに行きました。そこからヘルパーさんは一旦帰り、数時間のちに迎えにくるまで、2人はおしゃべりに興じました。楽しかっただろうなあ。

 

ナオさんは、リウマチがひどくなり、まったく歩けないし、手指も左手中指が動くだけの障害者1級の患者さんです。血小板減少症など、他にも病気があり、訪問医師や看護師、ヘルパー、訪問入浴、理学療法士などなど、総勢月に百名ほどの医療や介護関係者が彼女を支えています。もちろんケアマネもいますが、生活全般を管理しているのは、ナオさんです。

もと薬剤師のナオさんは、病気のこと、薬のこと、じつによく勉強していて、知ろうとする気持ちは人一倍。はっきりしていて、頭脳明晰で、しかも人情味に溢れる熱血漢です。

 

すごいなあ、と、とくに感心するのは、ガラケーを2台持っていて(ガラケーでないと操作ができないそう)、指1本で電話、メール、インターネット検索、欲しいものをネット注文して、

生活管理も全て入力していることです。

注文の品が間違っていたり、杜撰な態度をする相手に、

「責任者に代わってください。こんな商品売りつけるなんて、消費者バカにしないで!」

と怒鳴りつけているナオさんを結構見ています。(o^^o)

ナオさんの前では、外国人のヘルパーさんも訪問医も業者さんも同じです。皆んな友だちであり、彼女に協力したいと願い、時に彼女の助言をもらったり、たまに怒りをぶつけられたりと、余計なものを剥ぎ取られて素裸にされてつき合わされてしまいます。

私もそのひとり。ナオさんに魅せられて、大いに振り回されることを楽しんでいましたね。

 

パート2で紹介したヒロさんも、自身の生活を管理して生活を楽しむ方でしたが、ナオさんと決定的に違うのは、ナオさんは生活保護を受けなくても、年金(社会保険と障害者)だけで生活をしていたことでしょう。

ヒロさんは自営業だったので、国民年金しか加入しておらず、それと障害者年金だけでは在宅介護を賄うだけのお金はなかったため生活保護を受けざるをえなかった。ナオさんは、北海道で薬剤師として会社に勤めていたので、社会保険が受けられた。この差は、同じ在宅介護の「金食い虫」(役所がこう思っている)であっても、天と地ほどの差を生んだのだな、と思いました。

 

ナオさんはもちろんお金の管理もしていましたが、収支はだいたいとんとん。

それでも、少し生じるお小遣いを、何に使おうか、楽しそうにネットショッピングしていました。小さなネッカチーフを色違いで見つけたときは、本当に嬉しそうでした。3千円くらいでしたが、センスのいい買い物で、淡い色の布を首に巻くと、色白のナオさんにとても似合いましたっけ。

 

ブラジル、タイ、中国のヘルパーさんたちと話がしたい、と簡単な会話のできる冊子を取り寄せて勉強していました。

「昨日、マリア(ブラジル人のヘルパー)が約束でもないのに飛び込んできて、大変だったのよ。日本人の旦那と大喧嘩した、って。泣き喚くし、ブラジル語で興奮して話すし、なだめるの大変だったわ」と、困ったように、でも何故か嬉しそうに話してくれたこともありました。

 

北海道から上京して、離婚されたお母様とふたりで暮らしたこと、そのお母様を亡くし、やはり車椅子の彼氏と生活したこと、妹が医者で、東北でご主人と開業していること。彼女の語る人生航路はまるで小説のように波乱に満ちたものでした。

 

訪問マッサージを始めて3年目、ナオさんは身体全体の痛みに悩まされます。びわ灸も気功も効かなくなりました。とても苦しかったんでしょうね。ある日訪問すると、いつもより少し明るく言い出しました。

「医者が、手術をすすめるの。それをすると、とても楽になる、って言うのよ」

「でも、血小板が少ないからリスキーじゃない?」

「色々考えた末のことなの。この手術に賭けたいの。きっと元気になって帰ってくるから」

 

でも、ナオさんは帰ってきませんでした。

手術中、大量出血が止まらず、そのまま亡くなってしまったのです。

お見舞いに行った病院でナオさんの死を聞き、その庭で悔しくて泣きました。

 

ナオさんは、手術の前に、お墓を購入していました。無縁の人たちが入る共同墓地です。

「これで安心、誰にも迷惑かけないですむわ」

潔い、ナオさんらしい最期。最後までカッコいい女性でしたね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

うらうらと退院日和

2週間の入院生活を終え、無事弟が退院しました。

病院を出ると桜並木があり、お花見しながらそぞろ歩き。🌸

私は荷物を乗せた自転車を押し、弟と並んで歩きながら、まずはカフェでコーヒーを飲みました。2週間とはいえ、自粛生活を余儀なくされていた彼はコーヒーとアップルパイを注文。

そしてお昼は駅ビルで刺身定食、久しぶりの外出を楽しんでいました。

 

入院中、リハビリを頑張ったこともあり、タクシーで帰ることを選択せず、山の上にある家まで歩くことにしました。途中のマーケットで食材を買って、私は自転車で、弟は徒歩で実家に向かいました。

 

入院はこりごり、これからの生活を食事や運動、薬をどう管理するかなど話し合い、働きの鈍くなった心臓とつきあいながら、毎日の生活をどう送るか、がきょうだいのテーマです。

2人とも医者や薬とはあまり付き合わないできましたが、ここに来て弟はそうもいかなくなりました。

それでも、やれることは何でもやり、納得のいく療法をしていこう、と誓いあいました。むろん私も、です。

 

気がつくと3月はあっという間に過ぎ、桜は満開、春の花々が咲き乱れています。

ざわざわと世界が揺れている気配があります。

私もこれからのことをあれこれと考えながら、移り行く景色を愉しんでいきましょう。

 

 

 

 

大雨の日に☔️

土曜日は大荒れの日でした。

大雨、突風、雷・・訪問治療を休ませていただきました。雨脚を見ていたのですが、一向に弱まる気配がありませんでした。

家で「海賊と呼ばれた男」(岡田准一主演)のDVDを見ていた時、電話がありました。

弟からです。ここずっと不眠と息苦しさを訴えていて、今日はクリニックを受診していたのです。

「今から救急車で病院に行くことになったんだ。また心筋梗塞らしい」

ひえ〜!(゚o゚;;

3年前、出先で心筋梗塞をやり、入院手術をしている弟は、以来様々な方法で頑張って健康維持に努めていたのですが(もちろん私も応援)・・

「医者に、ほれみたことかと言われるだろうな」とがっかりしています。

薬をやめ、医者通いもしていなかったことを咎められるに違いありません。姉の私もがっかり!

 

雨は小雨でしたが、夕焼けがやたらに赤い空を眺めながら、タクシーで病院に行きました。

待合室で待たされる事1時間半。主治医から説明がありました。

弟の病名は「心不全」。心筋梗塞よりタチがわるく、肺に水が溜まっていて、様々な病気の引き金になること、いつ亡くなってもおかしくないほど重篤な病気であること、歩いたり話したりしていることは奇跡に近いことなど、若い医者は少し威圧的に機関銃のように話しました。

2日前に弟と会い、いつもと同じように歩いたり、話したり、食べたりしてたんだけどなあ、と思いながら聞いていました。(^_^;)

 

今はコロナの影響で、入院中は患者とは面会できません。それでも廊下で少しだけストレッチャーに寝ている弟と話すことができました。

弟は、持ってきてほしいものなど手短に話すと、ちょっと憮然とした様子で小声でいいました。

「さんざん医者から言われたけど、今の症状が改善したら、早く家に帰るつもりだよ」

「まあ、しばらくは郷に入ったら従うことだね。」と私。

 

手続きを終えて帰りのタクシーで帰宅すると9時でした。なんと4時間も病院にいたことになります。^^;

 

以前入院した時は、仕事先で練馬区かどこかの病院だったので、お見舞いが遠くて大変だったのですが、今回は近くの病院だったので、実家に寄って必要なものを探してから病院に行くのも自転車なので助かりました。

昨日入院手続きをするまで、都合3回病院に行きましたが、初日に廊下出会って以来、退院するまで会うことはできないようです。

毎日ラインと電話が来ます。

ラインは色々問題があるようですが、今は弟とのライフライン。

病院食はまあまあ美味しいそうです。数値も悪くない。肺の水もなくなり、リハビリも始まりました。

 

写真は、もう咲き出したツツジ!

弟の出所の日には満開だろうな、早く会えますように!^o^

 

エピソード②ヒロさんの話

昨年「ヨネさんの話」を上げて、その2段目。

懐かしい患者さんの話をします。ちょっと長くなりますね。

先日川崎の自転車さんに行き、その裏に住んでいたヒロさんのアパートに寄ってみました。

当時そのアパートの前には、ヒロさんが巨体を乗せて走っていた小さな赤い自転車が寂しそうに停めてありました。もちろん今はありません。

 

ヒロさんは私と同じ年、当時50代の元大工さん。独身でしたが、床を張る職人として弟子も抱える大工の棟梁でした。

頑丈な身体に猪首の彼は、車を運転していた時に後ろからぶつけられて、本当ならすぐに医者に行って首をサポートしなければいけなかったのにそのままにしていたところ、またぶつけられた。彼は「後縦靱帯骨化症」という病気になり、首から下がマヒしてしまったのです。

 

治療の依頼はヒロさん本人からでした。イタズラ電話かと思うほど、声が聞き取りにくかったのですが、電話口の人の必死さが伝わって、彼に会いに行くことにしました。ヒロさんとは同じ年ということもあって、最初から気が合い、なんでも話し合える仲になりました。(^^)

話し方も慣れれば、私が人に通訳するほどに。

「良かった、味方ができた」と彼は言いました。

 

彼はひとりで生活し、衣食住をすべて介護に頼っていましたが、生活の管理は自分でしていました。食料は生協の宅配で、1週間のメニューを全て立てて、作るのはヘルパーさん。1週間に1度の入浴サービス、排泄、掃除洗濯、病院への送り迎えなど朝昼晩とヘルパーがサポートしていました。

それまで棟梁としての収入も貯蓄も、住んでいたマンションも手放し、彼の生活を支えることになったのは、区の生活保護と障害者1級の保険です。

 

ヒロさんは、とても気のいい人だったので、ヘルパーさんも彼の応援団でした。彼も買い物を頼むと、余計に買ったお菓子を「子どもにあげて」と渡したりしていて、私も時に焼き芋を頂いたりしましたっけ。(o^^o)

 

そんな彼の生活に影をさしていたのは1人の人物と、1つの組織。

1人は実の兄さんで、ヒロさんのマンションを貰い受けた人でしたが、やれローンが高くて生活が厳しいだの、高いメンテナンスをしたのにまだ借り手がつかないだの、お金のことばかり言いにきました。私がマッサージしていると、

「いい身分だな。俺もマッサージしてもらいたいよ」と、彼の気持ちなどお構いなしに嫌みを言うのです。一度私が反論した時、後で、

「お願いだから、兄貴に口ごたえしないで。色々世話になってるから」

とヒロさんに頼まれました。この人は最後まで嫌な人物でした。

 

そして、もう1つの組織というのが、生活保護の担当者とお役人たち。彼らの目的はひとつ。

「区域からこの金食い虫を追い出す」こと。

彼らはあの手この手でやってきました。

ヒロさんの願いは「この家で穏やかに暮らすこと」だけなのに、何かと施設に入れたがりました。しかも、神奈川県の遠方の施設で、どんなにヒロさんが拒んでも、兄貴とつるんで来ては「一回体験してみないか」と。

とうとう根負けしたヒロさんがその施設に行ってみると、

「何にもない部屋で、テレビもないんだ。飯の時間だけ食堂で、食いたくもないもの食って、

あとは壁見てるんだ。頭おかしくなるよ」

と帰ってきてから言いました。

以来、ヒロさんはより一層一切の施設行きを拒むようになりました。無理もありません。

ところが、役人は次の手に出ました。

「この人間は、この区ではみることのできない大変な障害者」というレッテルを貼ってきたのです。

どういうこと?この疑問には、私が動きました。当時仲の良かったケアマネに頼み、その人の知り合いの生活保護相談員に聞いてくれたのです。すると、

「彼は体重が重過ぎて、車椅子移乗が困難。彼を乗せる車椅子がない。また男性の介護者を希望していて、そういう人がこの区にはいない。」など、色々書かれてあったそうです。

嘘八百です。実はヒロさん、確かに車椅子が狭くなり、医師からも痩せるよう説得されて、涙ぐましいダイエット作戦を決行していました。結果、目標の70キロを達成していたのです。

 

その話を、役人たちの話し合いの席でヒロさんがすると、全員蒼白になったそうです。

「犯人探しをするつもりですか!」

と叫んで退散しました。

この日以来、ヒロさん追い出し作戦はなりをひそめました。

 

でもでも、穏やかな毎日が続き、その夜、私の施術が終わって帰る時、

「蓮根を唐辛子で炒めてもらったんだ。うまいから食べてみて」と言われて、少しつまむと、とても美味しくて、

「私も今晩蓮根買って作ってみるよ」

と私。じゃあ、と帰ったその晩。

 

ヒロさんは、落ちたスプーンを拾おうとして、無理な体勢になったまま、絶命していました。

57歳。悔しくて泣きました。

 

ヒロさんは、一度声を上げて泣いたことがありました。昔の話をしていて、「俺の貼った床は頑丈で、評判良かったんだ。・・車の衝突さえなかったらなあ。」それから号泣したのです。

 

患者さんに、たくさんの話をしてもらおう、その方の背景や歴史をいっぱい知ってから、その方に寄り添った施術をしていこう。私が、マッサージだけでなく、その方の力になり、困ったこともできることはサポートしたい、と強く思うようになったのは、その頃からかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

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