横浜市 港北区 鶴見区 在宅 訪問マッサージ・リハビリ・びわ温灸はたんぽぽマッサージ治療室

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たんぽぽ日和

2020年12月

コロナなんかに負けるものか!^o^

師走も残すところあと12日!

年賀状もまだこれからだし、帰省しない九州の孫たちにお年玉やら本を送らなければいけないし、いくつか用事は残っているけれど、昨年に比べたらのんびりした日々を過ごしていますね。(o^^o)

 

思いもよらないコロナ禍という出来事で、今年は予定していた旅行や集まり、イベントなどがすべて中止になり、外に出向いたり、呼び集めたりする楽しみを奪われた一年でした。

インドア派を自称するたんぽぽさんですが、人と会ったり、自然に親しむため旅をすること、ミュージカルや音楽を聞くライブが無くなることがこんなに淋しいものだとは思いませんでした。

 

それでも、毎日自転車を漕いで患者さんのお宅を訪問して、施術しながらおしゃべりしたり、来てくださる患者さんと情報交換したり、世の中と繋がれる仕事を持っている事に感謝しています。

 

たとえコロナであっても、インフルエンザと同じ、手洗いマスクなど気をつけて、免疫力を上げておきさえすれば、仕事を続けることはできます。なんだ、いつもと同じ。(^^)

私の仕事は、この免疫を高める方法を伝えることなんですから。

ビワの温灸、マッサージ、マコモ、ケイシー療法etc。私自身も日々実践し、元気であることを実証すること。

この仕事こそ、どんな時代が来たって大丈夫だ、と胸を張って言えるぞ、と強く思うたんぽぽさんです。

 

息子がラインで、

「やばいけど嬉しい夢見た。死んでた親父が蘇って、お前は誰だ、って言うから、貴方の息子だというと、びっくりしてた。抱きついて、色々話した。リアルだった」

息子は40歳になり、26年前に亡くなった夫の年に近づきました。亡くなった時高校生だった彼は、イラストレーターの夫に影響を受けて絵を描き続けていますが、九州でサラリーマンと漫画家の二足の草鞋を履いて頑張っています。

いいなあ、色々話しただろうなあ。

私といえば、この間、

「どうして夫に会えないのかな、そうか、コロナだからか!」

という変な納得をする夢を見たばかり。もう26年も経っているというのに!σ(^_^;)

写真の夫はまだまだ若く、私は、と言えば、道ですれ違ってもわからないほどに年とりました。すれ違わないけどね。^o^

 

さて、今夜は弟と娘と、ささやかなクリスマスパーティを開きます。🎄

 

 

 

師走 別所温泉の思い出

師走に入りました。

いつもなら気忙しい月ですが、今年は掃除も前倒しでやったし、息子一家も帰省しないし、気分的にのんびり過ごしています。^o^

 

さて、テレビの旅番組を見ていたら、ふと母の実家であり、度々訪れて滞在していた「別所温泉」を思い出しました。故郷ではないけれど、懐かしくも忘れ難い場所です。

 

今はもう立て替えて新しい家に叔母さんたちが住んでいますが、私の訪れていた母の実家は、屋根のある門を入ると、母屋には土間や囲炉裏があり、離れがあって、倉や蚕小屋、畑や池もある広い田舎の家でした。トイレが渡り廊下の外れにあって怖かった。^o^

 

大学の先生だった祖父が、定年後どういう訳か大きな旅館の仕事をしていて、その旅館のお風呂に毎晩行っていました。

側溝から湯気が湧いている旅館街を、祖父と弟と3人で歩いていると、町の人や、芸者さん、時にストリップ劇場に働く女の人から「先生、お元気そうね。お孫さん?」なんて声をかけられます。ちょっと恥ずかしくも嬉しい。

土産物屋を冷やかすのは、旅館の浴衣を着た観光客。射的場、今で言うゲームセンター。川のほとりには長期療養できる宿があって、外で煮炊きしながら、楽しそうに話す女の人たちの声が聞こえます。

 

広い旅館のお風呂に入ってからロビーに出ると、大抵祖父が誰かと話しているので、弟と棒付きアイスをもらってなめながら待ちます。

確かこれには苦い記憶があって、黙って(近くに誰もいなかったので)弟の分と2本アイスを保冷庫からこっそりと出して食べているのを、母に見咎められて厳しく叱られたことがありました。(^^;

 

母は里帰りが大好きで、夏休みの間をほとんどここで過ごしていましたね。だから、父が4、5日の休暇をとってやってくると、とても嬉しかった。映画やお祭りや花火大会なんかのイベントには父も参加しました。

 

ここでは、たくさんの子供たちとの交流がありました。

ヤギを飼っている近くの家には遊び友だちがいて、しょっちゅう上がり込んでいました。ある日誰もいなかったので、何気なく置いてあった友達のお兄さんの通知表を見たら殆ど5!以来尊敬の眼差しを向けるようになりました。^^;

(盗み見てごめんなさい)

マサちゃんは2つくらいお姉さんで、お母さんは芸者さん。家に行くと、お母さんが鏡に向かってお化粧をしていました。美しいお母さんで、人気芸者だったそうです。お祭りの日、マサちゃんと歩いていると、「あんたもお母さんの仕事をするのかい?」と聞いた男の人に「はい、なります」と答えたマサちゃんが、私だけに聞こえる声で「イヤだ」と言っていたことを

思い出します。小さかった私には、マサちゃんの気持ちなど理解できなかったけれど。 

旅芸人の一座が近くの旅館に泊まっていた時、そこの家の女の子と仲良くなりました。切符をいただいて一幕だけ時代劇を見ました。女の子のお父さんが見事なチャンバラした後、マイクを持って歌っていました。なにしろ一人だけで見たので、馴染めないで早々に出てきてしまいましたが。

 

母の一番の仲良しは、「お寺のはっちゃん」。

常楽寺という大きな古刹で、私は行くのが楽しみでした。同じくらいの子どもたちがいて、家の中でゲームをしたり、広い境内を走り回って遊びましたね。

 

もうもう、思い出がきりなく出てきます。

でも、別所温泉はすっかり変わってしまいました。閑散とした土産物店、ひっそりとした温泉街は、5時には早々と店じまいします。

あの賑やかな往年の別所温泉を知っている人は少ないでしょうね。

今回は、たんぽぽさんの思い出話にお付き合いくださってありがとうございました!^o^