息子のTV出演!(^^)
息子です。38歳.久留米在住。
サラリーマンであり、漫画家です。
生まれつき耳が聞こえませんが、聞こえない自分のあるあるを漫画にして、新聞などの媒体で発信しています。
今回TVに紹介されました。見てください!
こんばんは!
今夜福岡のテレビニュースに息子が出ました。見てやってください。(o^^o)
ごめんなさい。動画を貼り付けるのは初めてで、ブログではもしかしたら見られないのかも。(汗)
ごめんなさい!
息子です。38歳.久留米在住。
サラリーマンであり、漫画家です。
生まれつき耳が聞こえませんが、聞こえない自分のあるあるを漫画にして、新聞などの媒体で発信しています。
今回TVに紹介されました。見てください!
こんばんは!
今夜福岡のテレビニュースに息子が出ました。見てやってください。(o^^o)
ごめんなさい。動画を貼り付けるのは初めてで、ブログではもしかしたら見られないのかも。(汗)
ごめんなさい!
今朝の新聞全面広告の写真です。(宝島社)
ご存知、樹木希林さん一家の家族写真。
左上に、希林さん語録があって、
⭕️死に向けて行う作業は、おわびですね。謝るのはおかねがかからないから、ケチな私にはピッタリなのよ。謝っちゃったらすっきりするしね。
⭕️絆というものを、あまり信用しないの。期待しすぎると、お互い苦しくなっちゃうから。
⭕️迷ったら、自分にとって楽なほうに道を変えればいいんじゃないかしら。
⭕️楽しむのではなくて、面白がることよ。中に入って面白がるの。
⭕️えっ、私の話で救われる人がいる?それは依存症というものよ。
最後の言葉なんて、いかにも希林さんらしい。この広告のタイトルが、
「あとは自分で考えてよ」
その通り、自分のことは自分で!(^.^)
樹木希林、好きな俳優さんだったなあ。
あっぱれ!という感じ。
「身体は借り物だから、生き切ってお返しする」なんて、なんて潔い言葉でしょう。
私だって、生き切ってやるぞ、と思わず握りこぶしを挙げたくなります。希林さんは亡くなっちゃったけど、私はまだまだ生きてるんだものね!(^o^)
患者のAさんは、92歳。元小学校の先生で、 訪問当初は、それはそれはお喋りに花が咲いたものです。
どこに生まれて、どんな幼少期を過ごし、戦争中はどんなだったか、ご主人と知り合って、亡くなるまで、私はAさんの人生をそらで語れるほど知っています。(o^^o)
そのAさんが神経痛になり、入院して帰ってきてからというもの、表情が無くなり、すっかり無口になり、話しかけても短く答えるだけになってしまいました。
耳が聞こえなくなったこともありますが、お喋りができなくなると、こんなにも静かな人になってしまうものでしょうか。
ただ、脚が痛い、痛いとしか口から出なくなっていました。
大声で、Aさんに語りかけてみました。
「Aさん、ひとりで寝てるとき、どんなこと考えていますか?」
「べつに・・何も・・」
「テレビ見たりしますか?」
「しません。見てもつまらないから。でもね」
「でも?」
「たまに歌うわね」
「何を?」
「あの、童謡なんか」
そうか!Aさんは歌が好きだった!
「もしもしかめよ、かめさんよ」
から始まって、私が歌いだすと、Aさんは始め恥ずかしそうに、次第に声を出して一緒に歌うようになりました。
私も、自慢じゃないけど、童謡大好きなんです。いくらでも、1番から2、3番まで歌えちゃうのです。(o^^o)
Aさんの足をやさしくマッサージしながら、浦島太郎や赤とんぼ、夕焼け小焼けで日が暮れて、クツがなる、赤い靴・・次々とふたりで歌いました。
Aさん、とうとう「痛い」とは言いませんでしたね。不思議!
「歌っていいわね。ホントに楽しい」
いつもは痛みで険しくなっているAさんの顔がピンク 色になり、すこし笑顔が戻っていたのが、嬉しくてならないたんぽぽさんなのでした。
昨夜は、川崎市100年とか(だったかな?)で、多摩川花火大会がありました。
世田谷区に住む友達のマンションの三階の部屋から、食事をしながら花火を楽しみました。(^O^)
最初は屋上から見ようという話で、「寒いから着るもの持ってきてね」というので、カーディガンを持って行ったのですが、
「ここからでも見えるのよ!ビール飲もう!」
と、女3人の酒宴が始まりました。(o^^o)
大井町線が混んでいて、中に浴衣を着た女性がいたのですが、寒いだろうな。河原だったら、早々に引き上げただろうな、と同情。
花火は2カ所から上がりました。友達の家からはその2カ所ばっちり見えて、写真では大分遠景ですが、かなり迫力ある花火を堪能しました。
今年の花火の見納め。隅田川のテレビ観賞もいいけど、やはりホンモノ見れてシアワセでした。
ふ
ニコニコと素敵な笑顔のこの方は、寺山心一翁。83歳。日本ホリスティック医学会の理事など肩書きは色々お持ちですが、この方が48歳、働き盛りの時、末期の腎臓がんを患って、そこから健康体になられたすごい経験をお持ちとは誰も想像できないことと思います。
それまでは、まさにワーカホリックの企業戦士で、趣味にチェロを弾かれるくらいの仕事一途の人生だったそうですが、無理が祟って腎臓がんに。その頃はまだ告知もしない時代でしたので、医師も家族も悪性がんとは告げずに、抗がん治療を受けたそうです。
辛い抗がん剤治療で、身体はすっかり衰え、歩くこともままならなくなったのですが、ある日、なんとかエレベーターに乗って屋上に上がると、朝日が昇るところでした。
何日も通い、朝日を浴びているうちに、ある朝何か身体に光が入ってくる感じを受けます。その時、「病気は治るかもしれない」と思ったそうです。
翁は(寺山心一翁師を翁と呼ばせていただきます)、内緒で屋上に通っていましたが、看護師に発見され、自殺希望者と思われて、運良く病院を追い出されます。^_^;
それから、翁の本当の闘病が始まるのですが、翁はがんと闘うのではなく、自分の作ってしまったがんに「ごめんね、こんなにしてしまって」と謝り、愛することを心がけるようになります。痛いところに手を当て愛を送ると、痛みが消えていったそうです。
翁は、良い水を摂ること、断食、腸の洗浄、日の出に「ありがとう」と感謝すること、呼吸法、マクロビオティックの食事、神社に通うこと、チェロを弾くことなどを快癒に応じて行い、歩けるようになってから「穂高養生園」で半断食の療法を月一で受けるようになりました。そこで知り合ったイギリス人に、スコットランドのフィンドホーンに誘われます。
フィンドホーンは聖地のようなところで、そこで養生したり、講演をしたり、チェロの演奏をしたりして帰国、病院で検査すると、翁のがんはきれいに消えていたのです!
翁はこの素晴らしい体験を語るうちに、自らの病を治したというだけでなく、からだから心、精神、魂、神、宇宙と、意識には段階があるという「意識の超越理論」を考え、発表します。
第一回の講義を、先週受けました。まだよくわかりませんが、次回の講義までの宿題が出ました。
その一つが、日の出を見ること、です。
ずっと早起きして、日の出を探すのですが、マンションの一番上の4階に上がっても、家の周りを歩きまわっても、日の出を見ることのできる場所が見つかりません。^_^;
水道管の収めている塔に登っているおばさん、塀に乗り出していらおばさんが誰にも見つかりませんように!(o^^o)
朝日の光を感じたい‼︎