息子インドにいます!
37歳の私の息子が、いまインドを旅行中です、
若い頃よりバックパッカーで、アジアのあちこちを旅しています。
よく旅先で仲良くなった外国人が遊びに来ていましたが、今も結婚して子ども3人いる九州の彼の家庭にも遊びに来ているようです。
息子は聴覚障がい者です。
出産時の鉗子分娩が原因と思われますが、まだオムツの外れない頃より補聴器をして、難聴教育に親子で励みました。
初めての子どもで、朝から晩まで絵カードを書いて、言葉や発語を教えていくのです。若い母親はついつい肩に力が入って、目がサンカクになり、息子との間に溝が生まれてしまいました。
あっ、犬が来た!それっとばかりにリュックから絵カードを出す。犬とのマッチングをしよう、と思った時には、それと察した息子の姿はない。逃げられています。σ(^_^;)
「ただ耳が聞こえないというだけの、俺たちの可愛い息子なんだよ。自然な親子の気持ちを大事に育てようよ」
と、夫は常に私に言っていました。そう、あの頃は夫が生きていたんだな。
息子は、口話法、という難聴教育を受けて、言葉を、彼なりに話すようになりました。
小学校、中学校と地元の学校で、インテグレーション(統合教育)しましたが、健聴者の中で
のコミュニケーションは難しい。
でも、勉強はさておきσ(^_^;)、息子はたくさんの友だちに恵まれました。
学校が終わると、我が家の玄関は子どもの靴で溢れかえり、当時流行ったファミコン画面の前に、ずらりと子どもたちの頭頭・・。
イジメもあったけど、息子は結構逞しく成長して、高校はろう学校へ進みました。
それまでは劣等生で、「体育と図工と給食だけだといいのに」と、しぶしぶ通っていた学校が、高校進学とともにガラリと一変。
「お母さん、勉強がわかるようになった!」
1クラス10人ほどで、先生を囲むような机配置、初めて覚える手話、周りは同障者の仲間、分からない事があったら、とことん教えてくださる先生たち・・と、今まで頭の上を通過していた勉強が、すとんと理解できるようになったのでした。
生き生きと学校生活を楽しむ息子。
今までやってきたことは、息子にとってはどうだったのかなあ、と思い始めていた時、息子が言いました。
「お母さん、言葉を話せるのは、僕だけなんだ。クラスの友達は、手話を覚えてから、言葉が話せなくなっちゃったんだ。ゲームセンターとか外に遊びに行っても、僕が通訳するんだよ。だから、僕がリーダーになった」
そして、
「言葉を覚えるのは、とても辛くて、どうしてこんな事を僕だけにさせるんだ、って思った事もあったけど、今は感謝してるよ」
うるうる・・です。本当に嬉しかった!
そして、手話通訳のできる伴侶にめぐり合い、九州でサラリーマンになり、新居も構えて、3人の可愛い子どもたちと幸せに暮らしている息子は、今インドにいます。(^o^)
「人類みな兄弟」と、どこへ行っても友だち作りができる単細胞で陽気な息子。どうか今回の旅も無事に帰ってこられますように、と祈りながら、帰国をまっています。
息子の特技は漫画です。
4月から西日本新聞に、週1で漫画の連載が始まります!(自慢です)(^o^)
あっ、ちょうど息子からライン入りました!
「今帰りました」すごい偶然!