義父とのお別れ・・
る九州の義父が、先週10日深夜に亡くなりました。96歳、孫たちに見守られての大往生でした。
金曜日の通夜に間に合うよう、飛行機で福岡空港へ、久留米で息子に拾ってもらい、車で大牟田の斎場に着いたのは、5時過ぎ。
4年前、義母の葬儀をした同じところで、義父は安らかに眠っていました。
私は、義父にとって長男の嫁になりますが、長男である夫はすでに23年前に亡くなり、喪主は次男になります。三男は夫より早く事故で亡くなっています。
斎場には、次男夫婦と孫たち、ひ孫たち、総勢17人が集まり、賑やかに義父を見送りました。
義父の最期を看取ったのは、長男の息子(私の息子)と三男の息子夫婦でした。最期の晩、スマホのアプリを使って、横浜の私ともずっと交信できたことは有難いことでした。
「お父さん!寛子です!お母さん(姑)と信一さん(夫)に会ったらよろしく伝えてください!本当に色々とありがとうございました!」
耳元で呼びかけると、ゆっくりとうなづかれました。
夜中の11時半に亡くなりましたが、三男の息子がこんなことを言っていました。
「おばちゃん、じいちゃんがだんだん意識が朦朧として、俺たちがずっと枕元で長い時間を過ごしていたとき、俺さ、じいちゃん、もういいよ、もう行ってもいいよ、って言ったのさ。そしたら、顔が一瞬、じゃあ行くぞ、というふうになって、すっと亡くなったんだ。まるで、あの世にダイブするみたいに・・」
「お父さんらしい亡くなり方だね」
孫たちと一人一人にハグして、ありがとうと言って、もう大分遅くなったから、この辺で・・という感じの亡くなり方は、まさに人の迷惑に極力ならずにいきたい、という義父の精神そのもの。
私はこの義父が大好きで、一人で子育てをしていたときに力になってくれただけでなく、辛い局面にぶつかった時、義父ならどう対処するだろう、と、彼の曲がったことが嫌いで潔い生き方に問いかけながら乗り切ったことが何回かあります。
孫たちも、この頑固だけれど、愛すべき肥後もっこすが大好きで、明け方まで、じいちゃんの話に花を咲かせました。
お父さん、どうか安らかに。天国で見守ってくださいね。私も、貴方のようなまっすぐな生き方をして、貴方のように逝きたい、とつよく思います。
そして今日は母の命日。
2年前の今日、90歳で亡くなった母を偲んで、弟と娘の3人で会食をする予定です。