7人家族だった
机を整理していたら、数年前に描いたイラストが出てきました。
65年ほど前の私の家族です。
今は祖母に抱かれている弟と私しか居ませんが、横浜の日吉の社宅に住んでいた時の、私の大切な家族ー両親と祖父母、曽祖母の7人家族。
この頃はどこの家にも、おじいちゃんやおばあちゃんがいたように思います。
お隣のマツコちゃんの家には、満洲から引き揚げてきたおじいちゃんおばあちゃん、マツコちゃんのお父さんの弟や妹さんも住んでいましたね。
日吉の家には、ニワトリもいて、毎朝卵を取りに行った記憶があります。
おじいちゃんは、バラの栽培が趣味で、肥えを汲んではバラの根っこにかけたり、玄関にバラのアーチを作ったりしていました。
おばあちゃんは日蓮宗の熱心な信者で、南妙法蓮華経といつも唱えていましたっけ。
ひいおばあちゃんは、この時89歳くらいでしょうか。10年後に99歳で亡くなります。風邪ひとつ引かず、本当に眠るように亡くなった、我が家の誇れる長寿の方でした。(慶應3年、江戸時代最後の年の生まれです)
どの家族にも歴史があるように、我が家の一人ひとりの歴史は、もう私と弟の記憶の中にしかありません。それは私の子どもや孫にとってもしかり。
だからこそ、今の私を一生懸命に生きるんだなあ、としみじみと思うたんぽぽさんなのでした。(o^^o)