紫陽花ロード Aさんの暗誦の話
家の近くに、紫陽花の小道があります。
仕事の帰り道、狭い道で通りにくいのですが、自転車を押しながら紫陽花を楽しんでいます。土質の酸性アルカリ性で花の色が変わると言いますが、道の左が青、右がピンクの花が多いように思います。
Aさんの家には、本当に久しぶりに岐阜の娘さんが来られました。私とほぼ同じ歳の娘さんですが、毎日電話をかけたり、宅配便やレターパックで細々したものを送ってくる優しい方です。コロナがなければ、毎月来られて泊まっていかれてましたが、ここ半年ばかりはなかなか来られず、Aさんも寂しがられていました。
そのAさん、認知症がゆっくりすすんできているのですが、たまにとても明瞭な日があります。
訪問すると、台所で音がするので覗くと、Aさんがお茶碗を洗っています。
宅配弁当で、家事はヘルパーさんがしているし、本人はデイサービスのない日はほぼ寝ているAさんなのです。出しっぱなしの息子さんのお茶碗を洗っていたのでしょう。
「ああ、疲れた」と言ってAさんはお布団に入りました。ところがこの日、たまたま女学校の頃の話になると、
「私ね、古文が大好きだったの」
と言うなり、
「頃は卯月二十日余りのことなれば、夏草の茂みが末をわき入らせ給ふに、始めたる御幸なれば、御覧じ馴れたる方もなく、人跡絶えたる程も思し召し知られて哀れなり・・」
と、すらすらと古文を誦じ始めたではありませんか!
私、じつは卒論が平家物語で、この章に詳しいのです。「小原御幸」(おはらごこう)。清盛の娘で、壇ノ浦で一緒に入水した安徳天皇の母である建礼門院(この方は命が助かります)を、尼になって住んでいた京都の大原の寂光院に後白河法皇が訪れる話です。
「あら、忘れちゃってる。」
と、途中思い出し思い出ししながら、Aさんは長い暗誦を終えました。
「あー、もう忘れちゃった!」
パチパチ👏
「すごい!Aさん!」
96歳のAさんが14、15歳の頃ですから、80年以上前の事です。恥ずかしそうに笑うAさんを見ながら、同じ話をテープレコーダーのようにされている認知症と呼ばれている現実と、ふと遠い日の一生懸命に覚えたであろう古文の一節・・この一コマを発掘できた喜びは、私の宝物になるだろうなあ、と思われました。
私も歳をとったら、詩の一節でも暗誦してみたいな、と思いながら紫陽花ロードを歩くたんぽぽさんなのでした。(o^^o)