横浜市 港北区 鶴見区 在宅 訪問マッサージ・リハビリ・びわ温灸はたんぽぽマッサージ治療室

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たんぽぽ日和

たんぽぽ酒蔵 そして看取りの話

 

今年漬けた果実酒たち。

左は、頂いたどぶろくで、手前のグラスは一昨年のやまもも酒です。

いちご酒、パイナップル酒、梅酒は実家から採れた20個程の梅をハチミツで漬けたもの。

 

気がついたことは、梅にも苺にも、漢字の中に母がいますね。(o^^o)

 

漬けるだけで余り飲まないなあ。これから晩酌は1杯ずつこれをやることにしました。

 

 

さて、ホームページを作り変え、そこから発信しているこのブログですが、なかなか思うようにいきません。

ご覧のように写真が横になってしまいます。前回も直してもらいましたが、担当の人も首を傾げています。

 

いろいろ更新したい事があるけれど、なかなか上手くいきませんね。

 

さて、癌の患者さんで、訪問でびわ灸をしていたOさんが、緊急入院されました。

在宅で頑張って治療されていましたが、足に力が入らず、歩けなくなってやむなく病院へ。

脊髄に転移されたのかも知れません。

奥様もとても腹の据わった方で、何があっても受けて立つ、くらいの心意気で在宅介護されていましたが、致し方ありませんね。

私もとても残念です。

 

がんに限らず、末期の方が自宅で最期を迎えるということは、なかなか難しいですね。

 

私は、たまたま夫を送ることができました。

それは考えてみると、今のように在宅医療チームが整っていたわけではなく、すべてが手探り状態だったこと。

病院嫌いの夫の意志を尊重すると、どうしても自宅で看るしかなかったこと。

やれる民間療法のすべてをやるためにも、自宅は最適だったこと。

そして忘れてはならないことは、素晴らしい医師に巡り合って、サポートしてもらったこと。

M先生、本当に感謝しております。

それからそれから、私と夫の意思の疎通がとても良く、笑いや愛が病室に満ちていたこと。子どもたちが傍にいたことも大きかったですね。

 

これらが上手く重なって、23年前、在宅でがんの看取りができたというわけです。

 

母の場合も、今度は弟とのチームワークが良く、病院の嫌いな母を家で看取ることができました。

やはり、いい医師がいて、私が週2回訪問治療し、ああでもない、こうでもないと色々な民間療法を弟と試しながら、笑いと愛に満ちた最期を迎えた母でした。

もう少し生きてくれると思ったんですけどね。

母命の弟が、背中をさすり、彼の胸の中で眠るように深夜亡くなりました。

翌朝、主治医に電話すると、診療所が開く前に駆けつけて下さり、すぐに死亡診断書を書いて

頂きました。これは、じつはなかなかこうはいかないことなのです。

下手をして救急車をよべば、解剖なんて騒ぎになっちゃう。90歳で、心臓が弱くても、事件扱いになってしまうのです、今の医療は。

 

母が亡くなって1年2ヶ月経ちました。

今年なった梅、梅雨の頃に漬けました。

来年、弟と飲みましょう。(o^^o)

 

 

やまもも酒つくりました!

 

今年はどうも“やまもも”の当たり年ではないようです。いつもは鈴なりになっている木に、実は落ちていませんでした。

 

ようやく公園に1本見つけて、収穫。

ご覧のようなやまもも酒ができました。まあ、3ヶ月は飲めませんが。(o^^o)

 

四国の治療師仲間が、もうすぐ私製の“どぶろく”を送ってくれる予定です。

お米だけから作ったどぶろく。母も好きだったな。今年は甘いそうです。楽しみ〜!

 

ちなみに、私はそんなに飲めません。(o^^o)

でも、果実酒は好き。

ぼちぼちとやりましょう。

 

素晴らしき難聴教育の母

 

たまたま前のブログが、難聴の息子の話でした。

書きながら、

「金山先生はお元気かな?」

と考えていたのですが、昨日当時の難聴教室の会長だった方から電話があり、

「金山先生が亡くなられたのはご存知?」

ええ〜〜!

ついては偲ぶ会を開くので・・というお話で、本当にびっくりしました。

 

金山千代子先生は、難聴教育の母とも言うべき方で、私が必死に2、3歳くらいだった息子に言葉を教えようとして、逃げ回る息子との間に溝を作ってしまった頃、2人を救って下さった恩人でもあります。^_^;

 

補聴器をしての口話法、それだけではなく、あらゆる方法を使って、聴児とのインテグレーションをすすめられた先生です。

子どもの目線で、心を通わせながら言葉を紡ぎだす、いつも優しく穏やかで、子どもたちは先生が大好き。もちろん、親も。(o^^o)

金山財団を立ち上げられ、たくさんの本を出版されました。

 

晩年は、老人ホームで過ごされましたが、89歳、老衰で眠るように亡くなられたそうです。

最後にお会いしたのは、8年ほど前でしょうか。産まれたばかりの息子の長女を抱いて下さいました。

 

「先生に、『ひらもとの人生道』見せたかったな」

息子のラインに、何度もうなづく私でした。

 

先生、本当にお世話になりました。ゆっくり休んでくださいね。けっして忘れません。合掌

 

6月に紹介したい本

 

今月はこの2冊を選びました。

と言っても、左の「ひらもとの人生道」は、息子の出版した漫画エッセイ第1弾。

小さな地元新聞に書いているものをまとめたものです。

生い立ちから、家族のエピソード、旅先の出来事などを書いていますが、そのテーマは、

「聴覚障がい者から見た世界」

です。

 

息子は、大難産で3日かかって産まれましたが、その時使ったかん(金偏に甘・・見つけられませんでした^_^;)子、カンシというハサミのような器具で頭を挟んで出てきた結果、聴覚がダメになってしまいました。

今は使っているのかわかりませんが、この時代は「うちもカンシだった」という方が結構います。その結果、なんともなかった方も多くいますが、中には脳に障害のあった方もいました。

 

息子は、補聴器をつけて、早くから(1歳のころから)口話法という、当時主流だった手話とは違う、音のある世界を気づかせて、唇を読んだり、文字と絵をカードに書いて、様々なものに名前があって、皆んなは声を出して話すのだ、ということを学ばせていきました。

 

例えば、踏切に行って、絵カードを見せて、「電車が来るね〜、ガッタンゴットン、カンカン」と毎回やっているうちに、静かな息子の世界の他にも“音”というものがあって、どうやらお母さんは口を動かして何か言ってるぞ、真似してみよう。

最初は、「ばーばーばー」と声が出たのを思い出しました。

「その調子、その調子!やったね!」

嬉しかったですね。最初の発語。

 

当時は家中のものに、字をかいた紙を貼っていました。たくさんのカードを持って息子に見せて“マッチング”させていました。

次第に、リュックからカードを出すと、息子が逃げる、という構図ができて、熱心にやればやるほど息子との溝に悩む日々がありましたが。^_^;

 

まあ、そんな日々を送り、息子は何とか言葉を話せるようになり(独特の言葉づかいてでしたが)、普通小学校に入学して、杉並区では初めてのインテグレーション(統合教育)児となりました。

 

イジメあり、仲間や先生とのエピソードあり、今は37歳になった息子の視線で、語られる人生模様です。

そこに登場させられる私は、もっぱらおかしくて、滑稽な母さんです。あんなに苦労して育てててこれかよ、と怒りたくなりますが、まあ仕方ありません。^_^;

素直に、息子の本の読者になりたいとおもいます。

 

 

 

と、長くなってしまいましたが、2冊目は、本当にタイムリーに、「デフ ヴァイス」(法廷の手話通訳士)丸山正樹著。

これは、主人公は聴覚障がい者ではなく、両親と兄が聞こえない人で、1人だけ聞こえる人として産まれた弟の語る話です。

著者は、普通の聴者ですから、大変な勉強をされて臨んだ本でしょうね。じつは手話にも、大きく分けて2つ、「日本語対応手話」と「日本手話」というものがあります。テレビなどで手話通訳者がやっているのは「日本語対応手話」、聴覚障がい者同士が日常話すのは「日本手話」です。

ここには、深い深い溝があって・・と、この小説は、その溝に潜む聞こえない人の受難の歴史や、それを埋めようとして奔走する人々の物語が、ミステリー仕立てで描かれていきます。

素晴らしい小説でした。

 

と、長くなりましたが、まだ小説の余韻浸っているたんぽぽさん、語り終えました。フウ。

 

 

介護者は大変だが、守られている!!

見事な紫陽花でしょう!

鶴見川の河川敷で見つけました。

写真を撮っていたら、自転車ですれ違った女の人も戻ってきて、写真を撮り始めました。(o^^o)

「私も行きがけ撮りたいと思っていたの。良かった、気がついて」

良かったですね、ご同輩。

 

治療室に来られるKさんは、60代の男性ですが、奥さんがアルツハイマーで、介護者でもあります。

本当に介護に疲れていて、悩みを話しながら治療されています。

「ここに来ることが、今の唯一の癒しです。」と言われ、びわ温灸を受け、鼾をかいて眠られます。慢性の睡眠不足です。

 

今まで幸せだった夫婦の生活が、だんだん壊れていくのです。

奥さんは、様々な事を忘れていき、不安になったり、混乱したり、生きる気力を失っていきます。

表情が無くなり、話すこともできなくなり、衣服の着脱も難しくなっていくのです。

夫であるKさんは、はじめは自身も混乱したり、この現実を受け入れられられず、ただただ振り回されて疲れ果てていました。

 

でも、最近は、少しずつ受け入れることができるようになったように思います。

「どんなに認知症が進んでも、人間の核の部分は無くならない。

毎日、どんどんリセットするみたいに、あらゆる記憶が失われているのです。本人は、どれほど不安で怖いことでしょう。

ご主人が、大丈夫だよ、僕がいるよ、といつも話しかけてください。

そして、信頼できる人なんだ、と奥さんに思わせてください。

決して子ども扱いしたり、忘れたからといって、説得や説明をしないでで無理じいはしないでください。」

 

 

20年前に、特養の重度痴呆棟(当時はそう呼んでいました)で働いていたたんぽぽさんは、そこで学んできたことを伝えます。

そこで生活していた人たちは、決して痴呆老人、とひとくくりにできる方たちではなく、それまでのそれぞれの人生を背負ってきていて、忘れるという脳の病気で預けられているけれど、皆んな一人ひとり人格をもっているのだ、と思ったことも伝えます。

「もし、アルツハイマーになったのが、奥さんでなく自分だったら、と考えてみてください。私も、癌になったのが私だったら、と考えた時、正直、ああ私でなくて良かった、と思いました。

癌になったのは夫の運命。私はこの人を全力疾走でサポートしよう、と本当に思いました。

奥さんがアルツハイマーになったことは、かわいそうだけれど、奥さんの運命なのです。

Kさんは、介護者で良かった、と自覚して、全力で奥さんをサポートして下さい。

介護者って、実は不思議な力で守られているのです。

介護者は、誰かが守ってくれています。

だから、後で後悔することなく、精一杯介護しましょうよ。」

 

介護者は守られている。

私は、色々な介護者をみながら、そう確信しています。