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たんぽぽ日和

伊豆の旅へ🌸

3月は忙しく過ぎていきます。 

 

2日は同人誌の編集会議があり、中野に行きました。この方たちとは年4回、一番会っているかもしれません。その間にも電話やLINEで連絡し合います。なにしろ50年ほどの付き合いなのです。年2回の詩の同人誌、長い長い物語。

 

そして2週目は確定申告です。年に1度の面談臭くて大変な数日間。終わった後のしあわせ感、ハンパない。^o^

 

週末は、中学からの友だち4人と伊東に一泊旅行です。この友だちとは、3年前から急速に距離を縮めて仲良くなったので、ずっと繋がってきた友人たちとは違って、長い長いブランクを埋めなければいけません。出会って語り、食べて語り、旅行中も寝てからもずっと、自分の人生やら同級生の話やら家族の話を語り続けました。伊東は、友だちのひとりの地元で、車であちこちを案内してもらいました。写真は、椿公園で、園内の展覧会場の入り口です。椿の種類の多さに驚きました。^o^

 

娘が無事にマッサージ師の国家試験に受かり、4月から愛媛の松山の治療院に就職します。

先生は私の同期で、その方がこれから娘の師匠になります。不思議な縁です。

月末の引っ越しのため、東京を離れることになる娘が、たくさんの友達と別れの宴を持ったり、旅行したり山登りしたりと、思い出作りをしているのですが、昨夜ひょっこり遊びに来ました。月末は息子も九州からやってきます。

 

申告終へ熱きココアに労(ねぎら)はれ

 

逢ひてから帰路までお喋り春の旅

 

旅を脱ぎ旅の余韻の春の風呂

 

 

 

 

 

 

 

雛の月となりました🎎

三月に入りました。

色々あった如月。慌ただしく過ぎた気がします。

写真は、セツブンソウ。日本の山野に咲く花だそうですが、見たことはありません。本当に美しい。

 

12月から行方不明になっていたお隣のご夫婦。

2月10日頃、ご主人の自転車が停まっていたので訪問しましたが、お留守だったので電話してみると、

「昨年から妻と二人で入院していたんです。

先日退院してきました」

「奥さんは?」

「今ベッドの上に・・」

「奥さんも退院されたんですね」

「いや、彼女はお骨になっています」

「え?」

「1月4日に亡くなりました」

え〜!💦

「僕は彼女のお骨と一緒に退院しました」

ベッドの上に乗っていたのは、奥さんの骨壷だったのです。

子どもさんのいない夫婦は、近所にも誰にも伝えず、二人で入院し、奥さんを荼毘に伏して帰ってきていました。

驚いたけれど、心に隙間風の吹くような、なんとも寂しい気持ちになりました。

 

そして、19日の水曜日の夜中。もう日付けは20日になっていましたが、弟が私の部屋をノックしました。そして座り込むと、

「胸が痛い。救急車を呼んで。大分吐いてしまった」

え〜💦💦

弟はこの5年のあいだに3回心筋梗塞で入院しています。ヤバイ、4回目か、と思いました。

夜間は救急車はサイレンを鳴らさずに来るのですね。家から何とか歩いて少し広い道路まで歩いて乗り込みました。

病院に着いたのは午前3時半。

循環器科は救急ラッシュで、先生になかなか診てもらえず、待合室でうとうとしていると、ようやく9時を過ぎて循環器科の先生に呼ばれました。(長かった!)

「心臓の方は問題ありませんでした。どうやら膵臓の炎症のようです。これから消化器科で詳しく検査してもらってください」

弟は急性膵炎だったんです。胸が痛いという訴えは、じつはみぞおちの痛みでした。

 

それから入院して10日経ちます。点滴が取れ、ジュース食から重湯になりました。

本人は結構元気になり、病院を歩き回ったり、パソコンで仕事しています。

この分ならあと1週間しないで退院できそうです。本当に心配しました。

 

春灯の寒き弟の居ない家

 

嬉しかったこともありました。

前に同意書を書いて頂いた女医さんに、新しい患者さんを紹介頂いた事。

84歳、元スチュワーデスさんです。^o^

 

弟の入院中、合唱コンクールを聴きにみなとみらいへ。またご近所(4軒先)にピアノとクラリネットとソプラノのコンサートへ出かけました。素晴らしい演奏でした。🎶

 

 

 

 

 

柑橘の話いろいろ🍊

今年の冬は本当に柑橘を堪能しました。

温州みかん、ゆず、はっさく、きんかん、紅まどんな・・

温州みかんは和歌山のみかんを宅配で三箱買いました。友だちからも一箱届きました。

ゆずはご近所からたくさんいただいたので、ゆずのジャムを作りました。

はっさくときんかんは、我が家で収穫しました。五十個ほど取れたので、ご近所に配りました。もちろんジャムを煮ました。

さて、紅まどんなです。これは、愛媛で治療院をしている友だちが、みかん畑を兼業で作っていて、来年から売り出したい、食べてみてと送ってくれました。初めて食べた高級みかん「紅まどんな」は、さすがみかんの女王、甘い果汁はこの世のものとは思えない美味しさでした。

 

柑橘の収穫こころ満たすもの

水曜は休み八朔のジャム煮る日

 

ご近所に配った我が家のはっさくでしたが、このことがお隣の不在に気がつくきっかけになりました。

お隣のYさんの奥さんとは、10月にご近所パーティで親交を深めたのですが、同じ年のYさんは帰る時歩くのもやっとの状態でした。

12月25日ころにはっさくを玄関前に置きにいくと、その前にご近所のKさんが配っていたゆずが置いてありました。冬至に配っていたものです。

年を明けても、ゆずとはっさくは玄関口に置いたまま。さすがに15日を過ぎると、ご主人と2人暮らしのYさんの家の不在は、Yさんを知る人たちの不安と心配事になりました。

一緒にパーティをしたHさんとご近所の聞き取りに数件訪問しましたが、どなたも今回の不在の理由を聞いていません。

新聞屋さんに電話すると、先月の17日から新聞の取り置きをYさんがしていたと聞き、とりあえずYさんの奥さんはその頃入院されたのだろう、ご主人はどこかで生活されているだろう、と何とか納得してこの件は保留にすることにしました。

それにしても、隣のわが家にひと言声をかけてほしかったなあ、と思うたんぽぽさんなのでした。

 

寒の入り隣の安否たしかめに

 

Yさんの家は、今もひっそりとしています。

下の写真は、紅まどんなです。

 

 

 

2025年の幕開け㊗️

ふ

あけましておめでとうございます!

今年もよろしくお願いします!

 

今年の年賀状は、新年の挨拶と、転居通知、そして年賀状卒業という盛り沢山の内容でした。

年賀状仕舞い、はずっとどうするか考えていたことですが、一番大変なことはパソコンでの作成とプリントでした。

それが楽しめるうちは、娘の手を借りたり、四苦八苦しながらでも、年賀状は大切な私と人を繋ぐアイテムだったのですが、今年はパソコンでの作成もプリントアウトも難行苦行そのもの。郵便料金値上げもあったし、ええい、やめてしまおう、と思った訳です。

友人たちとはラインで繋がっているので、それで充分です。

毎年凝った年賀状をパソコンで作り沢山配る息子や、ましてや年賀状なんか書く習慣を持たないネット世代の娘からしたら、「そんなに大変なこと?」と思うようですが、アナログ大好きの私からしたら、もう昔のイモ版の自筆の年賀状に戻りたい!^o^

 

さて、引っ越して実家で迎える初めてのお正月です。

娘も暮れから来たので、簡単なお節や鍋、お雑煮で祝いました。昨年の正月は、このメンバーが揃っている時に、能登の震災がありました。

あの夜はお風呂に入りながら、寒くて不安な正月を迎えている方々を思って心が傷んだなあ。

どうか今年が平和でいい年でありますように!

 

近くの八幡宮に、これからよろしくお願いします、とご挨拶に行きました。

 

元日に新聞ずしりの愉悦かな

初酒や昭和百年しみじみと

 

走って走って師走🚲

写真は、「こころ旅」の火野正平さん。

元気だった方の突然の訃報、本当に驚きました。

火野さんはひとつ年上で、私も自転車稼業をしていたので、とても親近感を覚えてBS放送を観ていました。そしていつも自然体で、少年みたいに動物や昆虫草花が好き。

様々な人の心の風景を訪ねて、津々浦々を旅する番組を楽しみにしていたのに。😢

青森の、私が昔住んでいた土地を旅したときは、本当にどきどきして見入りました。熊本は亡き夫の故郷の道を、懐かしさに包まれて画面と一緒に走りましたっけ。

行く先々で耳にする方言、人々の自然な振る舞いや笑い声・・もう聞けないんだなあ。

 

同じ頃、詩人の谷川俊太郎氏も亡くなりました。若い頃からその詩に馴染んできただけに、この方の死も寂しかった。

 

朝のリレー

 

カムチャッカの若者が 

きりんの夢を見ているとき

メキシコの娘は

朝もやの中でバスを待っている

・・・

この地球では

いつもどこかで朝が始まっている

ぼくらは朝をリレーするのだ

 

合掌。

 

さて、来週は冬至です。日が短くなって、あっという間に日が暮れてしまいますね。

そしていよいよ寒くなりました。

先週は詩の会の忘年会で新宿に集まりました。

この会には50年参加していますが、高齢者ばかりで、どんどん先細りです。運営が本当に厳しくなってきました。でも続けていかないといけません。まだまだ頑張ろう!

 

患者さんのTさんが亡くなりました。94歳の女性。深川の生まれと言っていました。

2ヶ月ほどの関わりでしたが、最期の会話は、

テレビでカラスミの出荷のニュースを見て、

「私カラスミって食べたことないけど、美味しいんですか?」と尋ねると、それまでほとんど口を開かなかったTさん、ささやくような声で

「スイカみたいな味がする」

「そうなんだ。焼いて食べるんですか?」

「いやそのまま薄く切って食べる。結構美味しいよ」

次に訪問したときは、もう入院されていました。短い間でしたが、やはり寂しいですね。

 

この仕事は、多くの患者さんの死で終わるという因果な仕事ですが、自分で選んだ自転車稼業、これからも自転車走らせながら、やれるところまでマッサージしていくつもりです。^o^

 

不器用な姉弟のスマホ冬に入る

 

 

 

 

 

 

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