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たんぽぽ日和

麗しの五月に思うこと

写真は、ナンジャモンジャの木です。

そんな名前の木があると知ったのは詩の中には出ていたから。詳しくは分かりませんが、ヒトツバタゴともいうそうです。まだ見たことはありません。(o^^o)

 

5月は私の一番好きな季節。この月は亡夫(23日)、息子(7日)、娘(1日)の誕生日です。

いつもは心浮立つ月ですが、今年は沈んだ5月です。でも、そんな時もあります。たんぽぽさんは何とか乗り切ります。o(^-^)o

 

明けぬ夜はなしと思へど青葉梟(アオバズク)

 

明易し古屋(ふるや)揺らして風の吹く

 

ジャスミンの芳香に酔へる家に棲み

 

5月、わが家はジャスミンに覆われました。

正確には、下の家から這い上ってきたもの。

昨年取って取りまくった蔓植物です。

見事に花をつけ、その香りは家を包みました。

いい香りですが、つよいので、窓を開ける度に頭が痛くなります。

ジャスミンの花を摘み、ビワ茶に混ぜてお茶を作りました。美味しいお茶を楽しみました。🍵

 

そしてドクダミ。お隣で摘ませて頂き、一年分を干しています。ドクダミ茶確保!^o^

 

海の散骨と決めたとふ友の夏

 

友というのは、患者のタエさんです。

「私、海に骨を撒いてもらうことにしたの!」

20年以上施術に通っているタエさんが、施設を訪問するなり言いました。共同墓地にするのか、樹木葬にしようか、大分迷っていた彼女が、その日は清々しい笑顔できっぱりと言いました。

「息子に頼んだわ。ホッとした!」

施設の仲のいいパートさんが、昨年亡くなったご主人の遺骨を海に撒くことになり(遺言だそう)、粉骨して船から散骨するまでやってくれる業者さんを紹介してくれたのだそうです。その奥さんであるパートさんも海洋葬(というのでしょうか?)をするそう。

「全部で23万ですって!」

へえ。それもいいな。海の好きなタエさんの最期の選択。そう言えば、タエさんも5月生まれ。78歳になりました!おめでとう!

 

 

 

 

 

 

負けないぞー(ノ_<)

4月になりました。

麗しい新緑のシーズンです。

4月17日は、母の命日。弟と母の好物の天ぷらと素麺を食べました。天ぷらには、娘から送ってきた筍(これは煮付けて食べたのですが)、ヨモギも入っていて、これをさっと揚げたものを入れました。

 

春うらら小人ひとり閑居して

春愁や今日はわたしを愛する日

 

ここ数日落ち込んでいました。

理由は、訪問マッサージの申請書が、どどっと返ってきたこと。

昨年10月から申請書の書き方が変わり、何回も問い合わせていたのですが、返戻を戻したものまで、全て受理されずに返ってきてしまったのです。

しばらく入金はお預けです。😢

厳しい経済状況になりました。💦

 

それでもやっていかねばなりません。

救いは、家賃が無くなったこと。

負けないぞ〜!😤

 

伊豆の旅へ🌸

3月は忙しく過ぎていきます。 

 

2日は同人誌の編集会議があり、中野に行きました。この方たちとは年4回、一番会っているかもしれません。その間にも電話やLINEで連絡し合います。なにしろ50年ほどの付き合いなのです。年2回の詩の同人誌、長い長い物語。

 

そして2週目は確定申告です。年に1度の面談臭くて大変な数日間。終わった後のしあわせ感、ハンパない。^o^

 

週末は、中学からの友だち4人と伊東に一泊旅行です。この友だちとは、3年前から急速に距離を縮めて仲良くなったので、ずっと繋がってきた友人たちとは違って、長い長いブランクを埋めなければいけません。出会って語り、食べて語り、旅行中も寝てからもずっと、自分の人生やら同級生の話やら家族の話を語り続けました。伊東は、友だちのひとりの地元で、車であちこちを案内してもらいました。写真は、椿公園で、園内の展覧会場の入り口です。椿の種類の多さに驚きました。^o^

 

娘が無事にマッサージ師の国家試験に受かり、4月から愛媛の松山の治療院に就職します。

先生は私の同期で、その方がこれから娘の師匠になります。不思議な縁です。

月末の引っ越しのため、東京を離れることになる娘が、たくさんの友達と別れの宴を持ったり、旅行したり山登りしたりと、思い出作りをしているのですが、昨夜ひょっこり遊びに来ました。月末は息子も九州からやってきます。

 

申告終へ熱きココアに労(ねぎら)はれ

 

逢ひてから帰路までお喋り春の旅

 

旅を脱ぎ旅の余韻の春の風呂

 

 

 

 

 

 

 

雛の月となりました🎎

三月に入りました。

色々あった如月。慌ただしく過ぎた気がします。

写真は、セツブンソウ。日本の山野に咲く花だそうですが、見たことはありません。本当に美しい。

 

12月から行方不明になっていたお隣のご夫婦。

2月10日頃、ご主人の自転車が停まっていたので訪問しましたが、お留守だったので電話してみると、

「昨年から妻と二人で入院していたんです。

先日退院してきました」

「奥さんは?」

「今ベッドの上に・・」

「奥さんも退院されたんですね」

「いや、彼女はお骨になっています」

「え?」

「1月4日に亡くなりました」

え〜!💦

「僕は彼女のお骨と一緒に退院しました」

ベッドの上に乗っていたのは、奥さんの骨壷だったのです。

子どもさんのいない夫婦は、近所にも誰にも伝えず、二人で入院し、奥さんを荼毘に伏して帰ってきていました。

驚いたけれど、心に隙間風の吹くような、なんとも寂しい気持ちになりました。

 

そして、19日の水曜日の夜中。もう日付けは20日になっていましたが、弟が私の部屋をノックしました。そして座り込むと、

「胸が痛い。救急車を呼んで。大分吐いてしまった」

え〜💦💦

弟はこの5年のあいだに3回心筋梗塞で入院しています。ヤバイ、4回目か、と思いました。

夜間は救急車はサイレンを鳴らさずに来るのですね。家から何とか歩いて少し広い道路まで歩いて乗り込みました。

病院に着いたのは午前3時半。

循環器科は救急ラッシュで、先生になかなか診てもらえず、待合室でうとうとしていると、ようやく9時を過ぎて循環器科の先生に呼ばれました。(長かった!)

「心臓の方は問題ありませんでした。どうやら膵臓の炎症のようです。これから消化器科で詳しく検査してもらってください」

弟は急性膵炎だったんです。胸が痛いという訴えは、じつはみぞおちの痛みでした。

 

それから入院して10日経ちます。点滴が取れ、ジュース食から重湯になりました。

本人は結構元気になり、病院を歩き回ったり、パソコンで仕事しています。

この分ならあと1週間しないで退院できそうです。本当に心配しました。

 

春灯の寒き弟の居ない家

 

嬉しかったこともありました。

前に同意書を書いて頂いた女医さんに、新しい患者さんを紹介頂いた事。

84歳、元スチュワーデスさんです。^o^

 

弟の入院中、合唱コンクールを聴きにみなとみらいへ。またご近所(4軒先)にピアノとクラリネットとソプラノのコンサートへ出かけました。素晴らしい演奏でした。🎶

 

 

 

 

 

柑橘の話いろいろ🍊

今年の冬は本当に柑橘を堪能しました。

温州みかん、ゆず、はっさく、きんかん、紅まどんな・・

温州みかんは和歌山のみかんを宅配で三箱買いました。友だちからも一箱届きました。

ゆずはご近所からたくさんいただいたので、ゆずのジャムを作りました。

はっさくときんかんは、我が家で収穫しました。五十個ほど取れたので、ご近所に配りました。もちろんジャムを煮ました。

さて、紅まどんなです。これは、愛媛で治療院をしている友だちが、みかん畑を兼業で作っていて、来年から売り出したい、食べてみてと送ってくれました。初めて食べた高級みかん「紅まどんな」は、さすがみかんの女王、甘い果汁はこの世のものとは思えない美味しさでした。

 

柑橘の収穫こころ満たすもの

水曜は休み八朔のジャム煮る日

 

ご近所に配った我が家のはっさくでしたが、このことがお隣の不在に気がつくきっかけになりました。

お隣のYさんの奥さんとは、10月にご近所パーティで親交を深めたのですが、同じ年のYさんは帰る時歩くのもやっとの状態でした。

12月25日ころにはっさくを玄関前に置きにいくと、その前にご近所のKさんが配っていたゆずが置いてありました。冬至に配っていたものです。

年を明けても、ゆずとはっさくは玄関口に置いたまま。さすがに15日を過ぎると、ご主人と2人暮らしのYさんの家の不在は、Yさんを知る人たちの不安と心配事になりました。

一緒にパーティをしたHさんとご近所の聞き取りに数件訪問しましたが、どなたも今回の不在の理由を聞いていません。

新聞屋さんに電話すると、先月の17日から新聞の取り置きをYさんがしていたと聞き、とりあえずYさんの奥さんはその頃入院されたのだろう、ご主人はどこかで生活されているだろう、と何とか納得してこの件は保留にすることにしました。

それにしても、隣のわが家にひと言声をかけてほしかったなあ、と思うたんぽぽさんなのでした。

 

寒の入り隣の安否たしかめに

 

Yさんの家は、今もひっそりとしています。

下の写真は、紅まどんなです。

 

 

 

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