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たんぽぽ日和

コロナなんかに負けるものか!^o^

師走も残すところあと12日!

年賀状もまだこれからだし、帰省しない九州の孫たちにお年玉やら本を送らなければいけないし、いくつか用事は残っているけれど、昨年に比べたらのんびりした日々を過ごしていますね。(o^^o)

 

思いもよらないコロナ禍という出来事で、今年は予定していた旅行や集まり、イベントなどがすべて中止になり、外に出向いたり、呼び集めたりする楽しみを奪われた一年でした。

インドア派を自称するたんぽぽさんですが、人と会ったり、自然に親しむため旅をすること、ミュージカルや音楽を聞くライブが無くなることがこんなに淋しいものだとは思いませんでした。

 

それでも、毎日自転車を漕いで患者さんのお宅を訪問して、施術しながらおしゃべりしたり、来てくださる患者さんと情報交換したり、世の中と繋がれる仕事を持っている事に感謝しています。

 

たとえコロナであっても、インフルエンザと同じ、手洗いマスクなど気をつけて、免疫力を上げておきさえすれば、仕事を続けることはできます。なんだ、いつもと同じ。(^^)

私の仕事は、この免疫を高める方法を伝えることなんですから。

ビワの温灸、マッサージ、マコモ、ケイシー療法etc。私自身も日々実践し、元気であることを実証すること。

この仕事こそ、どんな時代が来たって大丈夫だ、と胸を張って言えるぞ、と強く思うたんぽぽさんです。

 

息子がラインで、

「やばいけど嬉しい夢見た。死んでた親父が蘇って、お前は誰だ、って言うから、貴方の息子だというと、びっくりしてた。抱きついて、色々話した。リアルだった」

息子は40歳になり、26年前に亡くなった夫の年に近づきました。亡くなった時高校生だった彼は、イラストレーターの夫に影響を受けて絵を描き続けていますが、九州でサラリーマンと漫画家の二足の草鞋を履いて頑張っています。

いいなあ、色々話しただろうなあ。

私といえば、この間、

「どうして夫に会えないのかな、そうか、コロナだからか!」

という変な納得をする夢を見たばかり。もう26年も経っているというのに!σ(^_^;)

写真の夫はまだまだ若く、私は、と言えば、道ですれ違ってもわからないほどに年とりました。すれ違わないけどね。^o^

 

さて、今夜は弟と娘と、ささやかなクリスマスパーティを開きます。🎄

 

 

 

師走 別所温泉の思い出

師走に入りました。

いつもなら気忙しい月ですが、今年は掃除も前倒しでやったし、息子一家も帰省しないし、気分的にのんびり過ごしています。^o^

 

さて、テレビの旅番組を見ていたら、ふと母の実家であり、度々訪れて滞在していた「別所温泉」を思い出しました。故郷ではないけれど、懐かしくも忘れ難い場所です。

 

今はもう立て替えて新しい家に叔母さんたちが住んでいますが、私の訪れていた母の実家は、屋根のある門を入ると、母屋には土間や囲炉裏があり、離れがあって、倉や蚕小屋、畑や池もある広い田舎の家でした。トイレが渡り廊下の外れにあって怖かった。^o^

 

大学の先生だった祖父が、定年後どういう訳か大きな旅館の仕事をしていて、その旅館のお風呂に毎晩行っていました。

側溝から湯気が湧いている旅館街を、祖父と弟と3人で歩いていると、町の人や、芸者さん、時にストリップ劇場に働く女の人から「先生、お元気そうね。お孫さん?」なんて声をかけられます。ちょっと恥ずかしくも嬉しい。

土産物屋を冷やかすのは、旅館の浴衣を着た観光客。射的場、今で言うゲームセンター。川のほとりには長期療養できる宿があって、外で煮炊きしながら、楽しそうに話す女の人たちの声が聞こえます。

 

広い旅館のお風呂に入ってからロビーに出ると、大抵祖父が誰かと話しているので、弟と棒付きアイスをもらってなめながら待ちます。

確かこれには苦い記憶があって、黙って(近くに誰もいなかったので)弟の分と2本アイスを保冷庫からこっそりと出して食べているのを、母に見咎められて厳しく叱られたことがありました。(^^;

 

母は里帰りが大好きで、夏休みの間をほとんどここで過ごしていましたね。だから、父が4、5日の休暇をとってやってくると、とても嬉しかった。映画やお祭りや花火大会なんかのイベントには父も参加しました。

 

ここでは、たくさんの子供たちとの交流がありました。

ヤギを飼っている近くの家には遊び友だちがいて、しょっちゅう上がり込んでいました。ある日誰もいなかったので、何気なく置いてあった友達のお兄さんの通知表を見たら殆ど5!以来尊敬の眼差しを向けるようになりました。^^;

(盗み見てごめんなさい)

マサちゃんは2つくらいお姉さんで、お母さんは芸者さん。家に行くと、お母さんが鏡に向かってお化粧をしていました。美しいお母さんで、人気芸者だったそうです。お祭りの日、マサちゃんと歩いていると、「あんたもお母さんの仕事をするのかい?」と聞いた男の人に「はい、なります」と答えたマサちゃんが、私だけに聞こえる声で「イヤだ」と言っていたことを

思い出します。小さかった私には、マサちゃんの気持ちなど理解できなかったけれど。 

旅芸人の一座が近くの旅館に泊まっていた時、そこの家の女の子と仲良くなりました。切符をいただいて一幕だけ時代劇を見ました。女の子のお父さんが見事なチャンバラした後、マイクを持って歌っていました。なにしろ一人だけで見たので、馴染めないで早々に出てきてしまいましたが。

 

母の一番の仲良しは、「お寺のはっちゃん」。

常楽寺という大きな古刹で、私は行くのが楽しみでした。同じくらいの子どもたちがいて、家の中でゲームをしたり、広い境内を走り回って遊びましたね。

 

もうもう、思い出がきりなく出てきます。

でも、別所温泉はすっかり変わってしまいました。閑散とした土産物店、ひっそりとした温泉街は、5時には早々と店じまいします。

あの賑やかな往年の別所温泉を知っている人は少ないでしょうね。

今回は、たんぽぽさんの思い出話にお付き合いくださってありがとうございました!^o^

 

 

 

 

ヨネさんの話

この仕事を始めて20年ほど経ちます。

本当に様々な患者さんたち、そのご家族と関わってきました。

 

もちろん、今も関わっていて、あああんな人がいらしたな、こんな人もいらしたな、と人間大好きなたんぽぽさんが、忘れ得ぬ人について書き残しておこうと思い立ち、このブログに書いていこうと思います。

 

最初に書こうと思っているのは、ヨネさんの事。私のはじめての訪問患者さんでした。当時80歳なので、もう鬼籍に入られているでしょうね。

 

ヨネさんと会ったのは、20年前、マッサージの仕事を始めたデイサービスのある病院でした。

ヨネさんは入院患者さんで、リウマチでほぼ寝たきり、医師の同意があると健康保険を使ってマッサージができる、という話をすると、すぐにやってほしい、と言われました。

 

週2回通って、マッサージをしながら色々な話をしましたね。楽しかった。

ヨネさんは苦労人で、少し悲観論者。

「いいかい、あんただから教えておくよ。人間を信じちゃダメだ。みんな抜け目なくてずる賢いからね。あんたなんか、すぐにコロリと騙される。そんなもんだ、と覚えておけば、騙されても損はしない」

よほどお人好しに思われていたのでしょう、こんこんとお説教されたなあ。(^^;)何を話したんだろう。

 

ヨネさんは、美人でした。

「ヨネさん、若い頃騒がれたでしょ?」

というとニヤリと笑って、

「言い寄ってきた人はあったけど、私はお父さん一筋だったのよ」

「ヨネさんのご主人はいつ亡くなったの?」

「生きてるのさ、会えないけどね」

そうなんだ。目が見えなくて、病院にも来なくなって2年たつ、と聞いて驚きました。

「会いたいよ、二人でお茶飲みながら話したいよ」

 

7月に入って、病院の入り口に飾ってある七夕の笹に、

「お父さんとお茶が飲みたい」

というヨネさんの短冊を見て思い立ちました。

看護師長に相談して、

「ヨネさんは退院して、家で暮らせないものですか?」

と尋ねると、

「何回かやってみたことはあるけど、立って車椅子に移乗したりオムツ交換ができれば、家で介護できると思うんだけど」

え?それだけのことで入院してるんだ。当時は病院にはそんな寝たきりの人がいっぱいいました。今では入院期間が限られていますが。

「ヨネさん、家に帰りたい?」

と尋ねると、

「帰りたいよ。何回も頼んでるけど、ダメだって言われてるのさ」

リハビリ頑張って、立っていられるようにすれば家で介護が受けれるという話しをすると、ヨネさんは俄然その気になりました。

 

ヨネさんの、リハビリメニューを作り、介護の人にも協力してもらって、ベッドからの立ち上がりの訓練や柵を使って立ち続ける訓練を始めました。

ヨネさんは、思いの外頑張り屋さんでした。

そのうちに、柵につかまって膝の屈伸をしたり、数歩なら歩けるようにもなりました。オムツはパンツが履けるようになりました。

そして、3ヶ月後に無事退院できる運びに。

「やったね!ヨネさんの頑張りで、お家に帰れるね!」

「ありがとう!おじいさんに会えるのが楽しみさ!」

 

ヨネさんのご自宅には介護用ベッドが入り、在宅ネットワークができていました。

そして、退院後ヨネさんの自宅に行くと、ヨネさんは望み通り、ご主人とテーブルをはさんでお茶を飲んでいました。私にもお茶をすすめてくれて、

「この羊羹は高かったのよ〜」

と茶菓子まで。^o^

でも、私の訪問マッサージの仕事はそこでおしまいでした。

ヨネさんのお家は遠くて、とても自転車で通えない距離だったからです。(T . T)

 

私はヨネさんからいっぱい勉強させてもらいました。目的意識があれば、リハビリは頑張れること、寝たきりは防げることなど。

でも、人は信じちゃいけない、はなあ。いまだにできてないなあ。^o^

掃除をせんとや生まれけん!

今日から11月になりました。

11月は私の生まれ月、私自身も今更びっくりですが古希になります。

 

古希の特典は、医療費が2割になること。ほぼというか医者には行かないたんぽぽさんですが、歯医者さんだけは嬉しいかな?

あと、横浜市営のバスと地下鉄の無料パス。よく利用するので、これは嬉しい。誕生日に早速頂きに区役所に出向きます。(o^^o)

 

今日の日曜日は、娘と年末の大掃除を前倒しでしよう、ということで、3回にわたって日曜日を、カーテン洗いやら戸棚整理やら庭掃除やらにあてているのですが、今日は水回りと治療室、仏壇などなどやります。(^^;)

掃除とはキリのないもので、やってもやっても日頃の手抜き加減が露呈されます。恥ずかしいけど、受け止めるしかない。

 

でも、ゴミの袋がいくつもできると、心まで掃除されたみたいで嬉しいものですね。

さあ、頑張ろう!今日は読書封印です。^o^

 

お節介の話②ケアマネご乱心

台風の影響で雨が降り続き、金木犀がすっかり散ってしまいました。気持ちのいい爽やかな陽気です。

 

さて、Aさんのところのケアマネさんの交代劇についてお話ししたと思いますが、やはりケアマネOさんは、面白くなかったようで、最後に反撃に出ました。

 

Aさんは週3回、デイサービスを利用していますが、ある朝、まったく知らないデイサービスのお迎えがあったそうです。

 

デイの日は、ヘルパーさんがAさんの朝の支度をするために来ていて、そのヘルパーさんも、もちろん認知症のあるAさんも知らされておらず、キョトンとしたままそのデイサービスに。

 

「なんか知らない所に連れてかれてね、仕方ないから、ずっと椅子に座ってたのよ。暗くて不安だったわ」

 

とはAさんの話。1日誰も付き添わず、知らないデイで過ごしたAさんは本当に不安だったでしょうね。

 

この事は、Aさんはもちろん、家族も知らされておらず、Aさんの通所していたデイサービスも、突然「別のデイに行くことになりましたので」とOさんに言われたそうです。

 

💢怒ったのはAさんの娘さん。Oさんの勤めるケアサービスの上司の方から、それぞれのデイサービスに電話して、何故こうなったのかを問いただしました。

 

「家族に相談なしで勝手にデイサービスを替える権利がケアマネあるのですか?」

 

「いえいえ、そんなことはありません。申し訳ありませんでした」

 

とOさんの上司は平謝りだったそうです。

 

すぐにAさんは、もとのデイサービスに復帰。

 

もちろん、新しいケアマネさんともスムーズに移行手続きができ、いつも通りの生活をされています。

 

それにしても、もうじき定年を迎えるケアマネOさん、なにを血迷ったか・・。ご乱心とも映るこの騒動を通して、介護の仕事を支える人も生身の人間、特別介護の世界がうるわしいわけではないことは知ってはいるけれど、色々考えさせてくれる苦い出来事ではありました。^_^;

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