やまもも酒つくりました!

今年はどうも“やまもも”の当たり年ではないようです。いつもは鈴なりになっている木に、実は落ちていませんでした。
ようやく公園に1本見つけて、収穫。
ご覧のようなやまもも酒ができました。まあ、3ヶ月は飲めませんが。(o^^o)
四国の治療師仲間が、もうすぐ私製の“どぶろく”を送ってくれる予定です。
お米だけから作ったどぶろく。母も好きだったな。今年は甘いそうです。楽しみ〜!
ちなみに、私はそんなに飲めません。(o^^o)
でも、果実酒は好き。
ぼちぼちとやりましょう。


今年はどうも“やまもも”の当たり年ではないようです。いつもは鈴なりになっている木に、実は落ちていませんでした。
ようやく公園に1本見つけて、収穫。
ご覧のようなやまもも酒ができました。まあ、3ヶ月は飲めませんが。(o^^o)
四国の治療師仲間が、もうすぐ私製の“どぶろく”を送ってくれる予定です。
お米だけから作ったどぶろく。母も好きだったな。今年は甘いそうです。楽しみ〜!
ちなみに、私はそんなに飲めません。(o^^o)
でも、果実酒は好き。
ぼちぼちとやりましょう。

たまたま前のブログが、難聴の息子の話でした。
書きながら、
「金山先生はお元気かな?」
と考えていたのですが、昨日当時の難聴教室の会長だった方から電話があり、
「金山先生が亡くなられたのはご存知?」
ええ〜〜!
ついては偲ぶ会を開くので・・というお話で、本当にびっくりしました。
金山千代子先生は、難聴教育の母とも言うべき方で、私が必死に2、3歳くらいだった息子に言葉を教えようとして、逃げ回る息子との間に溝を作ってしまった頃、2人を救って下さった恩人でもあります。^_^;
補聴器をしての口話法、それだけではなく、あらゆる方法を使って、聴児とのインテグレーションをすすめられた先生です。
子どもの目線で、心を通わせながら言葉を紡ぎだす、いつも優しく穏やかで、子どもたちは先生が大好き。もちろん、親も。(o^^o)
金山財団を立ち上げられ、たくさんの本を出版されました。
晩年は、老人ホームで過ごされましたが、89歳、老衰で眠るように亡くなられたそうです。
最後にお会いしたのは、8年ほど前でしょうか。産まれたばかりの息子の長女を抱いて下さいました。
「先生に、『ひらもとの人生道』見せたかったな」
息子のラインに、何度もうなづく私でした。
先生、本当にお世話になりました。ゆっくり休んでくださいね。けっして忘れません。合掌

今月はこの2冊を選びました。
と言っても、左の「ひらもとの人生道」は、息子の出版した漫画エッセイ第1弾。
小さな地元新聞に書いているものをまとめたものです。
生い立ちから、家族のエピソード、旅先の出来事などを書いていますが、そのテーマは、
「聴覚障がい者から見た世界」
です。
息子は、大難産で3日かかって産まれましたが、その時使ったかん(金偏に甘・・見つけられませんでした^_^;)子、カンシというハサミのような器具で頭を挟んで出てきた結果、聴覚がダメになってしまいました。
今は使っているのかわかりませんが、この時代は「うちもカンシだった」という方が結構います。その結果、なんともなかった方も多くいますが、中には脳に障害のあった方もいました。
息子は、補聴器をつけて、早くから(1歳のころから)口話法という、当時主流だった手話とは違う、音のある世界を気づかせて、唇を読んだり、文字と絵をカードに書いて、様々なものに名前があって、皆んなは声を出して話すのだ、ということを学ばせていきました。
例えば、踏切に行って、絵カードを見せて、「電車が来るね〜、ガッタンゴットン、カンカン」と毎回やっているうちに、静かな息子の世界の他にも“音”というものがあって、どうやらお母さんは口を動かして何か言ってるぞ、真似してみよう。
最初は、「ばーばーばー」と声が出たのを思い出しました。
「その調子、その調子!やったね!」
嬉しかったですね。最初の発語。
当時は家中のものに、字をかいた紙を貼っていました。たくさんのカードを持って息子に見せて“マッチング”させていました。
次第に、リュックからカードを出すと、息子が逃げる、という構図ができて、熱心にやればやるほど息子との溝に悩む日々がありましたが。^_^;
まあ、そんな日々を送り、息子は何とか言葉を話せるようになり(独特の言葉づかいてでしたが)、普通小学校に入学して、杉並区では初めてのインテグレーション(統合教育)児となりました。
イジメあり、仲間や先生とのエピソードあり、今は37歳になった息子の視線で、語られる人生模様です。
そこに登場させられる私は、もっぱらおかしくて、滑稽な母さんです。あんなに苦労して育てててこれかよ、と怒りたくなりますが、まあ仕方ありません。^_^;
素直に、息子の本の読者になりたいとおもいます。

と、長くなってしまいましたが、2冊目は、本当にタイムリーに、「デフ ヴァイス」(法廷の手話通訳士)丸山正樹著。
これは、主人公は聴覚障がい者ではなく、両親と兄が聞こえない人で、1人だけ聞こえる人として産まれた弟の語る話です。
著者は、普通の聴者ですから、大変な勉強をされて臨んだ本でしょうね。じつは手話にも、大きく分けて2つ、「日本語対応手話」と「日本手話」というものがあります。テレビなどで手話通訳者がやっているのは「日本語対応手話」、聴覚障がい者同士が日常話すのは「日本手話」です。
ここには、深い深い溝があって・・と、この小説は、その溝に潜む聞こえない人の受難の歴史や、それを埋めようとして奔走する人々の物語が、ミステリー仕立てで描かれていきます。
素晴らしい小説でした。
と、長くなりましたが、まだ小説の余韻浸っているたんぽぽさん、語り終えました。フウ。
く
見事な紫陽花でしょう!
鶴見川の河川敷で見つけました。
写真を撮っていたら、自転車ですれ違った女の人も戻ってきて、写真を撮り始めました。(o^^o)
「私も行きがけ撮りたいと思っていたの。良かった、気がついて」
良かったですね、ご同輩。
治療室に来られるKさんは、60代の男性ですが、奥さんがアルツハイマーで、介護者でもあります。
本当に介護に疲れていて、悩みを話しながら治療されています。
「ここに来ることが、今の唯一の癒しです。」と言われ、びわ温灸を受け、鼾をかいて眠られます。慢性の睡眠不足です。
今まで幸せだった夫婦の生活が、だんだん壊れていくのです。
奥さんは、様々な事を忘れていき、不安になったり、混乱したり、生きる気力を失っていきます。
表情が無くなり、話すこともできなくなり、衣服の着脱も難しくなっていくのです。
夫であるKさんは、はじめは自身も混乱したり、この現実を受け入れられられず、ただただ振り回されて疲れ果てていました。
でも、最近は、少しずつ受け入れることができるようになったように思います。
「どんなに認知症が進んでも、人間の核の部分は無くならない。
毎日、どんどんリセットするみたいに、あらゆる記憶が失われているのです。本人は、どれほど不安で怖いことでしょう。
ご主人が、大丈夫だよ、僕がいるよ、といつも話しかけてください。
そして、信頼できる人なんだ、と奥さんに思わせてください。
決して子ども扱いしたり、忘れたからといって、説得や説明をしないでで無理じいはしないでください。」
20年前に、特養の重度痴呆棟(当時はそう呼んでいました)で働いていたたんぽぽさんは、そこで学んできたことを伝えます。
そこで生活していた人たちは、決して痴呆老人、とひとくくりにできる方たちではなく、それまでのそれぞれの人生を背負ってきていて、忘れるという脳の病気で預けられているけれど、皆んな一人ひとり人格をもっているのだ、と思ったことも伝えます。
「もし、アルツハイマーになったのが、奥さんでなく自分だったら、と考えてみてください。私も、癌になったのが私だったら、と考えた時、正直、ああ私でなくて良かった、と思いました。
癌になったのは夫の運命。私はこの人を全力疾走でサポートしよう、と本当に思いました。
奥さんがアルツハイマーになったことは、かわいそうだけれど、奥さんの運命なのです。
Kさんは、介護者で良かった、と自覚して、全力で奥さんをサポートして下さい。
介護者って、実は不思議な力で守られているのです。
介護者は、誰かが守ってくれています。
だから、後で後悔することなく、精一杯介護しましょうよ。」
介護者は守られている。
私は、色々な介護者をみながら、そう確信しています。

本日ただ今、新しいホームページ出来上がりました!
結構時間がかかりましたが、ようやくアップできました。(^_^;)
今回から、facebookにブログを載せると、私のホームページに飛びますので、時間のある方はわたしのホームページにもお立ち寄りください。
考えてみると、「たんぽぽマッサージ治療室」のホームページを作ってから10年ほどたちます。
最初はなかなか思うようにいかず、納得のいくものにはなりませんでしたが、新しいホームページの制作過程は、じつに日進月歩、このようにfacebookからも跳べるなど、色々と満足のいく仕上がりになりました。
イラスト、文は私が書きました。
下手くそですが、隅から隅まで私の作品でもあります。
どうか、ここから患者さんが読んで、いらしてくれますように!
お待ちしています!!