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たんぽぽ日和

ケイシー療法を実践してがんを治した方の勉強会へ!

あり「リーディング」の映画を観てから、ケイシー付いている私。

昨夜は実際にケイシー療法を実践して、ご自分のがん、娘さんのがん、息子さんのアトピーを治してしまった藤岡さんのお話を聞きに行きました。

 

藤岡さんは、8歳でお父様を亡くされ、常に「自分とは何?生きることとは?」と、いつも人生について深く悩んできた方で、様々な本を読んで、真理を探究してこられたそうです。

大人になり、ケイシーの本に出会い、

「これこそ真理なのではないか」

と信じる気持ちが湧いた、という彼女のベースがまずあって、彼女のその後起こる子宮ガンをケイシー療法で治そう、ということに繋がります。ひまし油湿布を患部や肝臓にすること、食養生などを施すことで、子宮ガンは完治したのです。

 

高校生の息子さんは全身アトピーになったのですが、反抗期ということもあり、なかなかケイシー療法をやらせてくれない、というくだりは、「そうだろうなあ」と苦笑。σ^_^;

でも、少しずつひまし油マッサージをすると、心を開いてきて、全身マッサージにも応じ、食養生、コロニクスという腸洗浄にも挑戦、1か月ほどで、あらかた元の状態に戻ったそうです。

 

そして、22歳の娘さんのがんが、ラスボスのように襲いました。今から5年ほど前のことです。この話がとてもショックでした。

最初は「ニキビの親分でしょう」と、左頬のデキモノを、医師は診断します。

ところが、デキモノはどんどん酷くなる。とうとう肉腫という診断がおりた頃には、顔半分をえぐる手術が必要、という22歳の娘さんには酷い告知がされたのです。

医師は言いました。

「でも、死ぬよりもいいでしょう?」

顔半分がえぐられるのです。若い女性にとっては「死んだ方がまし」かもしれません。

 

がん検査は必要ない、と言う近藤誠先生の所にも診察に行ったそうです。先生は、

「こういう人もいるから診たくなかった、えぐるより仕方ないでしょう」

と言われたそうです。

 

さて、気落ちするかと思った親子は、その日、あんみつを食べて帰ったそうです。すとん、と気持ちが晴れて、

「さあ、明日からケイシー療法だぞ!」

 

娘さんは、お母さんが子宮ガンを治した経緯を見ていて、何の疑いもなく、ケイシーのやり方なら治る、と信じていたそうです。

砂糖抜き、野菜中心(とくに青野菜)の食養生、ひまし油湿布、マッサージ(一番好きだったそう)、オリーブオイルをお猪口いっぱい飲む、そして・・

「オオバコのクリーム」!

 

これは、私も実際に目の前で見たことがあるのです。

昔、スモウ草と呼ばれてどこにでも生えていた雑草‘オオバコ’は、都会から姿を消して、なかなか手に入らなくなってしまったのですが、この草の湿布を、ケイシーは表皮がんに効く、と言っているのです。

この草を、藤岡さん親子は、河原へ行って探し回ったそうです。

そして、ついに発見!根っこも取って帰り、すり鉢ですり、草と同量の生クリーム(何しろケイシーはアメリカ人なので)と混ぜてホウロウの鍋で煮ると出来上がりです。

 

このクリームを娘さんの患部(この頃はピンポン大になっていたそうです)に塗り続けました。

そして、娘さんの肉腫は、9月に告知されてから、次の年のお正月には、触ってもわからないくらいに治っていたのです!

 

顔半分がなくなっていたかもしれない、形成手術で治しても、とても娘さんには耐えられない顔になって、これからの人生を生きていかないとならなかったかもしれない。

今娘さんは大学院を出て、仕事をされているそうです。たまに甘いものを食べたり、時に肉も食べるそうですが、至って健康、きっと美人でしょう。(^^)

 

「ケイシー療法でがんを治そう、という強い信念はどこからきたのですか?」

の質問に、

「よく理解していたから覚悟ができたのだと思います。覚悟をするには、まず理解することが大切なのではないでしょうか」

と答えていました。

 

会場には、今がんをケイシー療法で治している方やご家族の方もたくさんいて、この素晴らしい体験談に心揺さぶられたり、勇気をもらっておられました。

 

この講習会を開いたそうてつ治療院の遠藤聡哲先生は、自由が丘でケイシー療法を指導、治療しています。

 

たんぽぽさんも、今年はケイシーのマッサージを体得したり、患者さんに伝えたいな、と、ちょっと強く思っています。(^o^)

 

 

映画リーディングを観てきました!

映画「リーディング」は、白鳥哲監督作品で、1800年代にアメリカ、バージニアに生まれたエドガー・ケイシーについて描かれたものです。

写真はエドガー・ケイシーその人ですが、この方は知る人ぞ知る、不思議だけれど、素晴らしい偉業を多く残した人物なのです。
彼は23歳の時、声の出なくなる難病にかかり、西洋医学では治らないと言われたため、催眠療法を受けることになったのですが、彼の口で語られたのは、彼が自分の難病を治すための療法だったのです。
その通りにすると、彼は声を取り戻しました。

そして、以来彼は様々な病気を治すやり方を、催眠状態で語り始めました。それは医師に見放された病気の治し方ばかりで、彼自身は医学を学んだ人ではないのですが、専門的な医学用語を使って、詳しく説明したのです。
彼の言葉は書きとられ、その療法は1万近くに上り、今もきちんとケイシー記念館に保存されています。

私がエドガーケイシーを知ったのは今から10年ほど前でしょうか、乳がんの患者さんからでした。
そして、その方と、実際にケイシー療法をされている、自由が丘の鍼灸院「聡哲治療院」を訪れたのです。
そこで、オオバコを擦り、生クリームと合わせて湿布を作る現場を体験しました。ケイシー療法でした。
それまで、びわ温灸での治療しか知らなかった私にとって、本当に驚きであり、ケイシーという謎に満ちた、素晴らしい・・予言者とは違う、神がかった人物にとても興味を覚えました。

ケイシーは、様々な民間療法の他に、マッサージや精神療法、前世療法などを伝え、決してそれで儲けようともしないで、沢山の患者を救いました。
今も、そのやり方を実際に忠実に行って、がんを克服したり、闘病中の方が多くいるそうです。

たんぽぽさんの今年のテーマは、ケイシー療法を学んでみたい、マッサージも会得したい、ということになりそうです。(^^)

おめでとうございます🍾

今年もよろしくお願いします。

 

暮れの26日から来ている、九州の息子一家とお正月を迎えています。(^o^)

 

小5の孫娘、小3、年長さんの男の子3人が、所狭しと家中を走り回り、嫁の怒号が追いかけるという、いつものわが家の正月風景です。(^^)

暮れの掃除は、嫁が掃除用具持参で、張り切って台所を中心にやってくれました。今回からは孫娘も参加、行き届かないそこここを掃除してくれて、感謝感謝です。

 

それにしても、つくづく3人の子育ては大変だなあと思います。その上パート仕事にPTA会長の仕事、手話サークルのあれこれもこなす嫁のエネルギーには脱帽、エールを送りたい。

また、難聴の息子も、サラリーマンと漫画家の二足の草鞋を履いて、実に忙しい毎日を送っています。無理するなよ。

 

かく言う私も、今年はやりたい事がいっぱい。

色々と実現していくぞ、とまだまだやる気満々のばぁばなのです。

孫が言ってくれました。

「ばぁばは、もっと若いのかと思ってた」

ありがとう!!(^O^)

 

叔父の見舞いに鹿教湯へ♨️

叔父(母の弟)が、いよいよ良くないということで、病院のある鹿教湯温泉へ弟と行って来ました。

 

新幹線で上田まで2時間弱、その先はバスで1時間10分ほど。鹿教湯温泉には、大分昔叔父の車で連れて行ってもらったことがあります。叔父には可愛がってもらいました。

 

叔父は若い頃、結核の手術で片肺のため、やはり呼吸器が弱く、血液に二酸化炭素が多くて、いつ意識不明になるか分からないとの事。

でも、この日は小康状態で、話もできました。

 

色々話していて、どうも気になったのは、叔父のベッドの反対側に、なぜかずらりと車椅子の患者さんがこちら向きで並び、そこで食事が始まった事でした。

どうやら食堂がなく、この部屋に集められて食事しているらしい。(汗)

叔父との話は、すべてヒマそうな車椅子の患者さんも聞いている様子。彼らとて不本意でしょうが。f^_^;

 

美食家の叔父に買っていったお土産のお菓子は、ゆかりのお煎餅とヨックモックでしたが、

「ゆかりはいいね、大好きだよ。後でもらうよ」と、ちょっと嬉しそうな反応をして、表情の無かったおじちゃんの顔に懐かしい笑顔が浮かびました。その昔、別所のアランドロンと騒がれた人です。(^^)

30分ほどいて、病院を出ました。

 

バスまで大分時間があったので、信州蕎麦を食べた後は、町営の温泉へ。貸し切りの露天風呂を満喫しました。

 

おそらく叔父とは今生の別れになるのでしょう。寂しいけれど、これが無常というもの。

それにしても、弟とよく喋った日帰り旅でした。疲れました。(^-^;

 

写真は、町営の温泉のそばにある、珍しい屋根付きの橋です。

 

 

 

 

 

 

 

お登紀さんのコンサートに行ってきました!(^o^)

加藤登紀子の「ほろ酔いコンサート」に行ってきました!

 

たんぽぽさんのお登紀さんファン歴は長い!

初めて日比谷の野音に行ったのは、お登紀さんの初めての妊娠中のことで、獄中の藤本敏夫さんとの結婚の話題は世間を騒がせたものでした!

 

大きなお腹で歌うお登紀さんは、未婚の私に「何てカッコいい!」とうならせましたね。

そこには誰と行ったのかな?

 

それから野音の常連になり、ずっと夫と行っていましたが、子どもができてからはご無沙汰で、子どもが5歳頃、その頃藤本さんがやっていた無農薬野菜を売る「大地の会」の敷地内でのライブに3人で参加しました。

その時、なぜかお登紀さんから声をかけてくれて、「貴女たちに会ったことあるわよね」思わずうなづいちゃったけど、忘れられない思い出。私も夫も胸がいっぱいになったっけ。

 

以来、何回コンサートに行ったでしょう。

お登紀さんファンはじつに多くて、どどどっと中高年のファンが押し寄せます。彼女は舞台の上で日本酒を飲み、飲みながら熱唱します。

お登紀さん作詞作曲の歌、ロシアの歌、革命の歌、愛の歌、民謡、ひばりの歌、ピアフの歌・・

 

7歳も上なのに、今も美しく、ガンガン活動を続け、歌ばかりでなく本を書いたり、世界に活躍の場を広げている彼女に、どれだけ励まされたことでしょう。

 

おっと、お登紀さんのこととなると、つい熱くなる私。

今回もロビーで振舞われる大関を紙コップで飲みながら、友だちに

「ねえ、お登紀さんって、美人よね、大好き、彼女の顔」

と言ったら、

「美人かなあ」

とパンフレットを眺めながら首をかしげる友。

なによ〜!(● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾

 

 

 

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