横浜市 港北区 鶴見区 在宅 訪問マッサージ・リハビリ・びわ温灸はたんぽぽマッサージ治療室

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たんぽぽ日和

9月のおわりは台風

台風が近づいてきています。

でも明日は日曜日。仕事がないので、気持ち的に穏やかです。(o^^o)

 

さて、入院していたAさんが退院してきたり、調子が悪くてキャンセル続きだったIさんがようやく治療を再開したり、何とか患者さんの足並みが揃ってきて嬉しいこの頃です。

そして雨降りが続いて、温泉が恋しいこの頃。

 

治療室に来てくださるKさんの話です。

Kさんは私と同じ年。ヘルパーの仕事をしています。

今はご主人と二人暮しですが、毎晩、必ず出かけて行くところがあるそうです。

そこは近所の銭湯。

10時頃、4人の銭湯仲間が集まります。

「いつのまにか仲間ができちゃって、もう楽しくって楽しくって。1時間以上話して、お開き。

また明日ね、って帰るのよ」

 

この話を聞くと、私まで心がほっこりします。いいなあ、いいなあ。私も手ぬぐい持って参加したいなあ。(o^^o)

 

今住んでいる所にも温泉があるのですが、私の母の故郷は長野の別所温泉という所で、町には石湯という町民だけの温泉がありました。

そこに行くと、私は「えいこちゃん(母)の娘」となって、仲間入りができました。

夏休みだけの町民でしたが、まだ明るい夕方の、笑い声や湯桶の響きの聞こえる楽しいひと時を覚えています。

 

もう二度とあの仲間入りは出来ないけど、Kさんの話を聞くと、ふと懐かしい石湯の光景を思い出しましたね。♨️

モネ展に行って来ました!

ぬぬ昨日、高校時代の友達と横浜美術館のモネ展に行って来ました。

 

さすが日本人の好きなモネだけあって、美術館は大盛況。来週で終了になるモネの展覧会を満喫しました。

でも、モネの作品は思いの外少なく、ほかの画家の作品でかさ増ししている感はありましたね。^_^;

 

ともあれ、友人たちとその後、ホテルのバイキングで大いに食べ、大いに語って秋の午後を堪能しました。

 

朝一番で一件だけ伺った94歳のYさんに、これからモネ展に行くことを話したら、

「いいわねえ、歳をとると、女学校の友達も一人もいなくなるし、そもそもお友達がめっきりいなくなるの。そういうお友達、大切になさってね」

たしかにそうだなあ。

ランチでこの話をすると、それまで親の介護の話をしていた友達もしみじみ、

「いつまでも健康でいたいね」

 

帰りがけ、私がテレビのプレバトにハマっている話をすると、

「私、妹と俳句を送りあいっこしてるの。みんなもやってみない?」

と提案があって、やろうやろう、ということに。早速夜ラインが来まして、

 

古き友   横浜の街   秋暑し

ふと見れば  やっぱりそうだ  古希手前

良い子らの  健やかに集う  秋一日

過ぎ去れば  暑さは何処へ  桔梗濃く

良き友と  訪ふ モネの庭  桔梗咲く

 

まあ始めてひねるので・・^_^;

 

 

Sさんとの日々

今日は雨の日曜日。☂️

一日のんびり過ごす予定です。(o^^o)

 

さて、写真は、弟の出版社で出したばかりの本です。

実は、私の持ち込みで、著者は同人誌のお仲間の妹さん。神戸るみ子さんは画家で、絵の先生をしていました。

昭和30年代の、故郷宮崎で過ごした子ども時代を可愛い絵とエッセイで綴った絵本です。

弟は、この本を、認知症などのお年寄りのための回想法に使えるように、と出版しました。

私も校正の手伝いをしましたが、作者がイキイキとこの本の中で体験して駆け回る姿に共感して、何回も笑ったものです。

書店で見つけたら、是非手にとって見てくださいね。買ってくださったら嬉しいです。

 

さて、今朝新聞の俳壇歌壇を見ていて、ふと以前患者だったSさんのことを思い出しました。

「うたをよむ」欄に、「棺一基」とあったからです。この本は句集で、作者は大道寺将司。1970年代の連続企業爆破事件で確定死刑囚になり、40年間を獄中で過ごし、病死した人物です。彼の犯した罪についてはともかく、彼の残した俳句は素晴らしく、その句の全ては獄中で作られたものです。

Hさんは、大の競馬のギャンブラーで、家族も失うほどのめり込み、馬券場で脳梗塞で倒れた人でした。^_^;

本当に我儘でめんどくさい、やりにくい人物で、ヘルパーさんたちには嫌われていましたが、実は彼は森羅万象が好きで、映画、読書と、私と話が合い、随分頼まれて本を買ってあげたものです。

ある日メールが来て、「棺一基」という句集を買って欲しい、というので、書店で取り寄せて持って行きました。私は初めて大道寺将司という人を知り、その句を詠みました。

 

一身に木の芽の声を聞きをりぬ

残る日に縋り鳴きたる油蝉

棺一基四顧茫々と霞けり

 

「すごいよな、全部牢獄の中で詠んだんだ。世界があるよな。俺と同じなのにな」

6畳一間で寝起きして、身体がままならない身を嘆く日々を送っているSさんが、しみじみ言いました。

 

「Sさん、元気なら何をしていた?」

と聞いたら、即答、

「もちろん競馬場行ってるさ」

「・・・」

どっち?

台風の日の事です。

 

私はいつもは赤いレインコートの上下を着ていますが、この日は、昨夜届いたばかりのネットで買ったピンクのコートを着て、少し嬉しい日。でも雨脚はひどくなるばかりです。

 

さて、雨の交差点で信号待ちをしていたら、隣にいた茶色のレインコートを着た人が、急に私に話しかけました。

「今、傘さした人が通ったけど、雨の日傘さして自転車乗ったら違法なんだよね、知ってる?」

「はあ、そうですよね・・」

その人の顔は、なぜが怒りでとても険しい。

 

「この間、お巡りさんに言いに行ったら、人が足りなくて、とても取り締まれない、って言うの。違法なら、取り締まれ、って事だけどさ・・」

話は続きますが、私は最初から気になって気になって仕方がないのです、

 

この怒りのエネルギーを発散する人は、

◯少しダミ声のおばあさん

なのか、

◯少し声の高いおじいさん

なのか。

 

信号が青になって並んで走り始めても、とうとうわかりませんでした。

ごめんなさい。^_^;

夏の不思議な出来事3

夏の不思議な出来事パート3です。

 

一番書くことの難しい話。

何しろ不思議な体験ですから。

 

昔々、子ども時代にテレビで「不思議な町」というドラマを見ました。うろ覚えですが、ざっとこんな話です。

 

郵便配達の若者が、配達区域にはない町への手紙を届けるため、虹が出ている時だけ現れるという町に、手紙を届ける。誰から誰への手紙だったか忘れてしまったのですが、虹が消えそうになるので、慌てて町の(橋がかかっていて)外に出た配達員が、振り返っても町がかき消えた、というようなストーリーでした。

 

こんな体験を、私がしたのです。

 

2年ほど私の治療室に通っていたAさんは、76歳の元ギタリストの男性でした。

私の治療室の近くに住んでいる、住所も近くの番地で、息子さん一家が階下にいて、自分は2階で外階段から出入りしている、と仰っていました。

一二度、お孫さんと歩いている所を見かけたので、

「この辺りに住んでるのですか?」

と尋ねると、

「この少し先です」

とにこやかに言われます。

 

べつにどこに住んでいるのか、と強く思ったわけではないのですが、何の気なしに朝の散歩の時など、その辺りを探してみるのですが、Aさんの表札のかかった家は見つかりませんでした。

 

一軒家で、2階か3階建、外階段のある家は、Aさんが急死され、お通夜にも伺った後も、不思議な事にどこにもありませんでした。

「いやあ、恥ずかしいくらいの古い家ですから」

と、昔は立派な家に住んでおられた話をされていたので、きっとAさんは見られたくなかったんだろう、私が興味本位で見るのはやめようと思い直し、以来Aさんの家を探すことはやめました。

 

やめて1年後くらいでしたか。

夏の夕方でした。たまたまAさんの家近くを訪問する用事があり、訪問後、何気なく

(この辺りをよく歩いたなあ)

と思って、小路を見ていると、

(あれ?)

見慣れない細い道があり、その先に見慣れない家があったのです。

小さな3階建ての家で、外階段があり、門柱にはAさんの名前がちゃんとある。

(なあんだ。こんなところにあったんだ。)

 

帰ろうとして、少しふらっとしました。

暑い日で、頭がぼうっとしていて、なんとかいつもの通りに出た時、

(あ、これって、前にもあった・・逢う魔が時?)

そう、前にも書きましたが、人の思念をキャッチしてしまい、彷徨いこむ世界に、また入ってしまったのかもしれない、と思ったのです。

 

ゆっくり振り返って、確認しました。

Aさんの家も、その前の小路もかき消えていました。

なぜか、Aさんの、してやったり、ニヤリとした顔が浮かびました。

 

これだけの話です。不思議な体験でしたが、今も時々その前を通る時、Aさんを思い出します。Aさん、忘れないよ。(o^^o)

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