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たんぽぽ日和

仕事おさめの夜に🌠

今日が仕事納めでした。

 

バーミヤンに寄ってコーヒーと杏仁豆腐を食べながら本を読み、のんびり帰宅すると、さあ大変スマホが無い!

家電(いえでん)からバーミヤンに電話すると、ありました!^o^  久しぶりに104で電話番号を聞きましたね。電話帳なんてないですからね。

とるものもとりあえず、もと来た道をバーミヤンへ! 本当にスマホがなければ何もできない自分を改めて確認しました。

 

そして、家に着くなり、Kさんから電話です。

「今日姉が亡くなりました。」

姉のSさんは、ずっと訪問を続けてきたがんの末期の患者さんです。妹のKさんがずっと介護されてきました。

私が最後に伺ったのは今月の18日。たい焼きを持っていったら、食べたかった、と言って美味しそうに召し上がっていました。

「このぶんなら、年は越しそうよね。」

帰りがけ、妹さんにこっそり言ったら、

「私もそう思う」と。

 

でも、今日のお昼にはおかしくなって、慌てて来てくれた訪問看護師さんに亡くなったことを告げられたそうです。

「SさんもKさんも、よく頑張った!幸せな最期だったと思うよ」

 

お葬式は来年の8日。まだお家にいるSさんに明日最後のお別れに行きます。

 

 

 

 

師走の総決算!

ああ、もう師走! 今年も残り少なくなってしまいました!

この1年の事を振り返ってみると、色々ありましたね。

 

一番辛かったのは、お別れです。

2月 Tさん夫婦が老人ホームに入居されました。

3月 Sさんが闘病の末亡くなり、

4月   97歳のTさんが急死。

 

春に3人の患者さんたちとお別れしました。

 

この痛手は寂しさと同時に経営的な苦しさをもたらし、随分営業に走りましたっけ。今も頑張っています。(^^;)

 

一番ハマったのは?

「鎌倉殿の13人」でしょうね。

もう、これほど大河ドラマを心待ちにしたのは初めて。

毎回毎回楽しかったですねえ。

何しろ、鎌倉は昔から思い入れがある土地で、若い日にはよくあちこちを歩き回った所。

小学校の修学旅行も日帰りでしたが、鎌倉でしたし、初めてできた彼氏とデートしたのも鎌倉・・とまあ、歴史的な事はそんなに深くは知らなかったけど、今回のドラマで、色々ジグソーパズルをはめ込むように鎌倉時代を知ることができました!

 

また、日曜日に鎌倉殿を見て、ウィークディはYouTubeで楽しむ、という2度美味しい楽しみ方も知りました。

YouTubeでは、吾妻鏡などの歴史書や史実に基づいた話ばかりでなく、鎌倉殿を味わうための伏線や隠された演出、三谷幸喜さんの脚本がいかに面白いか、が語られて、思わず「そうだったんだ!」とか「私もそう思った!」などと共感したり感心したり。

 

そんなわけで、昨日最終回を見て、ちょっと放心状態です。(^^;

 

ところで、

もうひとつハマったのが・・

俳句ですかね。

詩は若い頃から作っていますが、ここにきて、俳句をひねる面白さに片足ほどハマりました。

 

弟が。歌を読み始めて、1日1歌、お互いに読まないか、と提案してきたので、

私は歌より俳句だな、と思い、作り始めました。下手クソですが、初心者怖いものなし。

  

  ご機嫌なジャズと珈琲冬の朝

  自転車は寡黙な相棒冬に入る

  寒の雨お先に御免とウーバーイーツ

  眩しさは凶器師走の道をゆく

 

ホント、眩しさには往生しています。💦

 

さあ、来年はどんな年になることでしょう。

赤毛のアンの言葉を借りれば、

「この道の曲がり角の向こうには、何かきっと素敵なことが待っているような気がするの!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

息子の講演会❗️

土曜日は、杉並区で聴覚障がいの息子の講演会がありました。

杉並区は、夫が亡くなるまで住んだ所です。

そこでの講演会は、九州に住む息子の夢だったようです。

講演の内容は、息子が漫画家(サラリーマンをしながらですが)になった経緯が第1部、2部は亡き祖父の戦争体験と祖父との思い出です。

 

杉並ろう協会の主催で、初めての講演会だったので、進行があたふたしたり、手話通訳の人が(息子の手話を通訳する)なかなか慣れずに誤訳をしたりと、色々ありましたが、とても熱のこもった良い講演会でした。(親バカですが)若い日の夫や私の写真がアップされると、「お母さん、若い!」の声も。(o^^o)

 

小中学校、ろう学校、職業訓練校などの同級生や先生方も来てくださり、私も懐かしい方々に久しぶりに囲まれて嬉しかったです。

 

息子を育ててきた時と、今の聴覚教育は大分違ってきていて、口話法(補聴器をして手話を使わず、訓練で声を出すやり方)はなくなり、手話を言語として使うようになりました。

ですから、いまの難聴児は手話だけで話をしています。手話は外国語と同じ、コミュニケーションを取るためには、周りが手話を覚えて話さなくてはなりません。

私は手話ができず、息子とは口話だけで(伝わらない時は指文字や字を書く)話していますが、ほとんど通じますね。複雑な話をするときは、嫁のいる時は嫁の手話、2人の時は紙に字を書きながら話します。

声を文字に変換する器械もあるのですが、誤訳が多くて、笑ってばかりで話になりません。

何かの話をしていて、「あの人顔変だから」とか「そこにウンコ置いて」とか、どうすればそう聞こえるのか不思議ですが、文字に変換されると、お腹をよじって笑ってしまいます。💦

 

とまあ、口話法と手話でコミュニケーションをとる息子が言うには、「俺は口話で話ができて本当に良かったと思ってる。でも、手話が外国語のように市民権がもてて、皆んなが覚えてくれたらもっといいなとも思う」

そうですね。私も手話覚えなくては、とつよく思う母なのでした。(^^;

 

霜月雑感

Sさんが退院して1週間以上経ちました。

オムツ問題は、導尿カテーテルを看護師さんがつける事で、なんとか解決したそうです。

 

Sさん宅を訪問すると、妹のKさんは、3日めで大分介護疲れの様子でしたが、家での介護への覚悟ができたようです。それまでは、病院という選択肢を捨て切れず、在宅で看取る自信がない、と言われていました。

しかし、家政婦さんが、かなり勇み足で家をかき回すことがあり、姉妹にとってやりにくいという事だったので、在宅介護はストレス無く、風通し良く過ごす事が大切!とお話ししました。だって、Sさんにとって最期の大事な大事な時間じゃないですか。

Kさん、すぐにあちこちに電話をして、家政婦さんを変更することに成功、

「やっとこれでストレス無くなった〜!」

とふたりで喜んでいました。

でもでも、これからが大変なのです。

頑張れ!SK姉妹!

 

写真は、夕景の鶴見川。

寒くなってきて、家でもコタツを出したり、石油ストーブを使うようになりました。

今年は、上の孫の高校受験があり、息子一家の帰省がなくなったので、コタツに潜り込んで騒ぐ孫たちの声も聞けません。

静かなお正月になりそうです。  

 

さて、コロナの影響で、詩の同人誌の忘年会が中止になりました。本当に残念でなりません。

来週は、息子だけ上京します。土曜日に杉並区で講演会があるのです。息子にはもちろん、私にとっても懐かしい先生や友だちが聞きにきて下さいます。

夫と暮らし始めて、家族をもち、夫が亡くなるまで暮らした杉並。息子からラインで、「暮らした家や小学校(もうなくなっているそうですが)見に行かない?」との誘いがありました。

もう行かないだろうなあ、と思っていましたが、こんな機会がなければ足を運ぶことはないでしょう。

「はいはい、一緒に行ってみようか」

返信したら、きゅうに懐かしい日々が蘇ってきて、胸が熱くなりました。

 

 

 

 

 

 

 

最近のトイレ事情

え〜! もう11月? 早い!

カレンダーをめくりながら心で叫ぶのは私だけ?

11月は、私の誕生月であり、夫の命日のある月でもあります。

27日の命日には、詩の会の久しぶりの忘年会があり、その前日には聴覚障害の息子の講演会が杉並で開かれます。

長年家族と暮らしていた杉並なので、当日には息子の恩師や友だちなど、懐かしい顔ぶれが集まるそうです。大丈夫か、息子?

 

さて、今回の話題は、今とても気になっているシモの話「トイレ事情」です。

 

夫が亡くなってすぐ、私は横浜の職業訓練校に通い始めました。ヘルパー1級の資格を得るためです。

そこで、実習の講義の後、オムツを1枚ずつ渡されたことがありました。

「宿題です。この中に排泄してみること」

え〜え〜

 

頑張りました。夜オムツをして、トイレに行きたくなる度に頑張りました。

ところが、出ないのです。大はもちろん、小の方も一滴も出ません。お腹はぱんぱんなのに、です。膀胱炎になりそうになったので、諦めました。(^^;)

 

この時、トイレに行って出すことは、人間最後の、人間らしくあるための砦かもしれないな、と思いました。

 

しかし、です。

この、オムツに出す行為が、今どれほど重要か、が問われています。

末期がんのSさんが、入院中の緩和ケア病棟を退院勧告されているのです。

どうしてもトイレでしか排泄できないSさんは、足腰が弱り自力で立てなくなったので、介護士さん2人ががりでポータルトイレに移動しているのですが、この人手不足の折、度々のコールに病院側が音をあげたという訳です。

 

オムツにさえできれば、家での介護もできるのです。妹さんも頭を抱えています。

「だって、どうしても無理なんだもの」

わかるけど、なんとか頑張ってほしい!オムツにするだけじゃん!と思ってしまう私。最後の砦は、人間の尊厳を諦めることなのかもしれない。

 

トイレの話題もうひとつ。

施設に住む四肢マヒの患者Iさんは、ナースコールを隠されました。

度々トイレの要請があるのですが、Iさんの場合、重い身体を車椅子に乗せてトイレに連れて行っても、なかなか出ない。便秘なのです。

どんなに待っても出ないので、ベッドに戻すとすぐコール。何回も繰り返すのに、ほとほと疲れて、呼ばれて部屋に行くと、

「ごめんね。出ちゃった・・」

そんなやりとりがあって、Iさんがコールすると、

「オムツにしてください!」

とコールの向こうから職員さんの声。

そして、ナースコールが隠されました。

 

今、Iさんは、オムツに排泄しています。職員さんは取り替えに来ます。

人間の最後の砦は、かく壊される。これが現実なのです。仕方のないことなのかもしれません。(ため息‍)

 

今回は辛い話題にお付き合いくださってありがとうございました!‍♀️

 

うわあ。前回のブログにそっくりに近い内容が!(^_^;)

ボケたか、私! でも、余程思い悩んでいる案件なのだ、と察してお許しください。

m(._.)m

 

 

 

 

 

 

 

 

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