横浜市 港北区 鶴見区 在宅 訪問マッサージ・リハビリ・びわ温灸はたんぽぽマッサージ治療室

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たんぽぽ日和

水無月にお弟子さんがやってきた!

写真は、今野草にとても凝っているたんぽぽさんが、Facebookの野草倶楽部で見つけた美しい野の花たちの写真です。

 

アカツメクサ、アザミ、その他知らない草花がてんこ盛りです。^o^

もう毎日毎日草の話で盛り上がり、いつか野で摘んできた草で食卓を飾りたい、と真剣に考える私。(o^^o)

 

ビワ灸やマコモ、ひまし油などを治療に使っている一方、びわ茶やドクダミ茶、ハトムギ、ニンニク、高麗ニンニク、松酵素などなど、私の周辺は植物だらけ。これから梅干し作りも始めます。

歯医者以外医者には行くことのない私ですが、

とくにビワ(エキス)は万能薬で、昨夜もエヘン虫ぽかったので喉にビワを塗ってタオルで首を巻いて寝ました。ちょっとした傷や火傷、痒みにもビワエキスで治してもらいます。

手に負えなくなると、気功(量子波)の出番です。このポテンシャルは無限大。私の仕事を支えてくれる大切な力です。

 

その他は、マッサージ、按摩、指圧の技術。

これは、長生という学校で学びました。20年前、2人の子ども(20歳の息子と9歳の娘)を育てながらの学生生活。大変だったけど、楽しかったなあ。ここで学んだ事が治療院を開くベースになりました。

 

さて、患者さんでうちに来られたTさんは、マッサージとビワ灸にとても興味を持たれました。ご自分でもやってみたい、やれるでしょうか、の問いに、

「やりましょう!教えますよ!」

と私。こんな人が来ることを、どこか待っていたのかもしれません。

 

Tさんは、お灸の道具一式を購入、その使い方から、マッサージを習い始めました。

先生となった私なりのマッサージのやり方を絵にして紙に書き、ひとつひとつ教えていきます。まだスタートラインに立ったばかりですが、Tさん、なかなか素地がいい。

私自身褒めて伸びる人ですから、Tさんはどこまで伸びるか楽しみです。^o^

 

ビワのお灸とマッサージ習いたい人、この指止まれ!☝️

 

 

エピソード④まつじさんの話

写真がなくて、イラスト描いてて、まつじさんってどんな顔してたかなあ、と思い浮かべながら、でもこんな感じ!となりました。

まさにイメージ通り。

 

まつじさんは、10年ほど前に亡くなりました。

70代で、後遺症の少ない脳梗塞の患者さんでしたが、そろそろ認知症が始まっていましたね。

でも、この年代の男性には珍しく、おしゃべりで陽気。通っていたデイサービスでも人気者だったそうです。

 

とにかく、この方を思い出すと、愉快な話ばかりが浮かびます。腕白だった少年時代の話、集団就職で東京へ出てきてから、横浜で小さな工場を立ち上げ、その会社がバブルで面白いほど受注があり、今でも家で人を雇って仕事を続けていること(社長さんです)、戦争中は小学生で茨城の山の中で農家をしていた実家に東京からの疎開児童を預かり今も交流していること、などなど。

 

茨城の地図でもなかなか見つからないほど山奥の、結構大きな農家の次男坊として生まれたまつじさんの実家の話は、とくに忘れられません。

田んぼも畑もありましたが、そこで栽培するのは、全て家で消費するための作物、牛や馬は耕作のため、そこで生活する祖父母、両親に子ども3人、全て家の担い手です。味噌や醤油、油だって手作り、綿も栽培していて紡ぎ、染色だけは他に頼むそうですが、家で織って反物にした布は家族全員の着物や布団になります。まさに自給自足の生活です。例外は炭と卵で、炭小屋で焼いた備長炭は貴重な現金収入で、卵も里から村に登ってくる担ぎ屋のおばさんが買い取って、干した魚などになったそう。

1里(4キロ)離れた尋常小学校に行くと、

「農家の子は皆んな着物、勤め人の親の子は洋服だから、羨ましかったよ」

 

そんなまつじ少年は、おばあさん子でした。

「その婆さんが自慢だったの。村の寄り合いはよくうちでやったんだけど、中心に座るのは、爺さんじゃなくて、婆さん。(たしかおじいさんは入婿)婆さんは村の長老であり、ご意見番でなんでも知ってた。村長さんも一目置く人でね。俺はいつもその膝の中に座ってたよ、偉そうに。(笑)」

おばあさんは、自分の部屋のなかに所狭しと薬草を干していて、時間があれば薬研で薬を調合して、村の人に渡して(売って?)いたそうなのです。健康相談にも乗っていたそうなので、村の(無医村)の心強いお医者さんであり、薬剤師といった人だったのでしょう。いや、シャーマンか。(o^^o)

このおばあさんの話は、まつじさんの話の半分を占めるくらい沢山のエピソードがありましたね。ああ、私はまつじさんの一代記が書けそう。^o^

 

ある雨の日訪問すると、まつじさんは家の中を散歩していました。歩かないといけない、と言われていたから、ズンズン歩いています。

後ろからついていくと、階段を降りていくところ。(まつじさんの家は2階に玄関があり、1階に小さな工場があるのです)

トトト、ドッシーン!まつじさんは階段を、一回転して落ちてしまいました。

目の前の出来事は、様々な思いを私の頭の中に巡らせました。

(やばい!責任問題!骨折!入院!救急車か!)∑(゚Д゚)

「まつじさん!大丈夫ですか?」

駆け寄ると、まつじさんは身動きしません。

台所から奥さんも出てきて、

「どうしたの?」(この方も動じません)

しばらくして、むっくりとまつじさんは起き上がり、

「えへへ、びっくりしたろ?」

なんと無傷でした。驚かさないで〜!ホントにビックリした!(・・;)

 

そして、まつじさん宅に通い始めて5年目の春、訪問すると家の前に黒塗りの車が停まっていました。

奥さんが出てきて、

「あれまあ、動転してて、先生の所に連絡するの忘れてました!一昨夜、救急車で運ばれて亡くなっちゃったの!」

えー!嘘!(;o;)

病院から戻ってきたまつじさんは、棺に入って和室に寝ていました。本当に眠っているようでした。

まつじさんは、大好きな大福を喉に詰まらせて亡くなったのです。

「私が洗い物をしてて、後ろのテーブルで大福を食べてたんだけど、振り返ったら倒れてて・・」

 

「いやー、面目ない。こんなカッコ悪い死に方しちゃったよ」

と、まつじさんの声が聞こえてきそう。

そういえば、まつじさんは、いつも一口で和菓子でもなんでも食べてたなあ。

 

大好きだったよ、まつじさん。会えなくなって寂しいけど、天国でおばあちゃんと仲良くね!

 

 

 

 

 

 

 

美しい5月に🌹

更新を大分サボっているうちに5月!

5月は娘と息子の誕生日が続けてあり、あれも書こう、これも書かなくては、と思っているうちに日々が過ぎてしまいました。(^_^;)

 

写真は、昨夜届いた息子夫婦からの母の日の贈り物です。

これは私からのリクエスト。圧力鍋が壊れてしまって、ほぼほぼ深い鍋底フライパンだけで調理していたのですが、まさかこんなに高機能の圧力鍋が届くとは!

早速今夜はシチューでも作らなければ、と張り切ってしまいます。^o^

 

写真の後ろにテレビ画面が見えますが、鍋が届いた時、録画していた宝塚花組のレビューを見ていました。

明日海りおさんの引退公演で、とくにヅカファンという訳ではないのですが、BS放送で宝塚が見れるのなら、見ておきたいくらいの宝塚好きです。(o^^o)

歌舞伎も演劇も日舞も好き。映画も週2本は見てるかな?録画している中には、まだ見ていない映画や番組がいっぱい入っています。

でも、スマホを見る時間の方が長いかなあ。

YouTubeには、わくわくする内容のエンターテイメントや車中泊キャンプで日本を回るものや、海外の紹介動画や食べ物動画、可愛い動物や幼児の記録が待っています。ジャーナリストや様々な講演者の発信も勉強になるし、とても楽しみ。

そして、Facebookには、友達や知人の発信だけではなく、同じ興味を持つ人たちとの交流があり、これも開くたびにワクワク感半端ありません。今一番ハマっているのは、野草を食べたり薬草を作っている人たちの会です。私も野草を摘み始めました。

そうそう、たまにオンライン交流会に出席したりもします。

 

なんだなんだ、私の生活の大半はテレビやスマホに支配されているみたい。

いやいや、ちゃんと仕事してますよ。

仕事の途中の自転車道では、今まさに満開のバラを心ゆくまで鑑賞したり、昨日は患者さんの庭のドクダミをいっぱい摘ませてもらい(根も花も)、洗って干し始めました。お茶にします。これからは、野草を料理して食べてみたい、と考えています。

 

昨夜静岡の友達からラインが来て、田植えが終わった、やれやれ、とのこと。

田植えのシーズンです。美しい五月、大いに楽しみたいたんぽぽさんでした。

 

 

 

エピソード③ナオさんの話

 

ずっと更新をサボってましたが、いよいよ思い出に残る患者さんの話、パート3です。

 

イラストは、ナオさん、当時60歳。美人でしょう。

この写真(イラストにしました)は、亡くなる半年前のもので、北海道から親友が訪ねて来ることになり、近くのホテルに部屋をとって数時間過ごした時のもの。(隣は親友の方)

ナオさんはこの日のために洋服を新調し、髪をカットし、おしゃれをめいっぱいして、ヘルパーさんとタクシーに乗ってホテルに行きました。そこからヘルパーさんは一旦帰り、数時間のちに迎えにくるまで、2人はおしゃべりに興じました。楽しかっただろうなあ。

 

ナオさんは、リウマチがひどくなり、まったく歩けないし、手指も左手中指が動くだけの障害者1級の患者さんです。血小板減少症など、他にも病気があり、訪問医師や看護師、ヘルパー、訪問入浴、理学療法士などなど、総勢月に百名ほどの医療や介護関係者が彼女を支えています。もちろんケアマネもいますが、生活全般を管理しているのは、ナオさんです。

もと薬剤師のナオさんは、病気のこと、薬のこと、じつによく勉強していて、知ろうとする気持ちは人一倍。はっきりしていて、頭脳明晰で、しかも人情味に溢れる熱血漢です。

 

すごいなあ、と、とくに感心するのは、ガラケーを2台持っていて(ガラケーでないと操作ができないそう)、指1本で電話、メール、インターネット検索、欲しいものをネット注文して、

生活管理も全て入力していることです。

注文の品が間違っていたり、杜撰な態度をする相手に、

「責任者に代わってください。こんな商品売りつけるなんて、消費者バカにしないで!」

と怒鳴りつけているナオさんを結構見ています。(o^^o)

ナオさんの前では、外国人のヘルパーさんも訪問医も業者さんも同じです。皆んな友だちであり、彼女に協力したいと願い、時に彼女の助言をもらったり、たまに怒りをぶつけられたりと、余計なものを剥ぎ取られて素裸にされてつき合わされてしまいます。

私もそのひとり。ナオさんに魅せられて、大いに振り回されることを楽しんでいましたね。

 

パート2で紹介したヒロさんも、自身の生活を管理して生活を楽しむ方でしたが、ナオさんと決定的に違うのは、ナオさんは生活保護を受けなくても、年金(社会保険と障害者)だけで生活をしていたことでしょう。

ヒロさんは自営業だったので、国民年金しか加入しておらず、それと障害者年金だけでは在宅介護を賄うだけのお金はなかったため生活保護を受けざるをえなかった。ナオさんは、北海道で薬剤師として会社に勤めていたので、社会保険が受けられた。この差は、同じ在宅介護の「金食い虫」(役所がこう思っている)であっても、天と地ほどの差を生んだのだな、と思いました。

 

ナオさんはもちろんお金の管理もしていましたが、収支はだいたいとんとん。

それでも、少し生じるお小遣いを、何に使おうか、楽しそうにネットショッピングしていました。小さなネッカチーフを色違いで見つけたときは、本当に嬉しそうでした。3千円くらいでしたが、センスのいい買い物で、淡い色の布を首に巻くと、色白のナオさんにとても似合いましたっけ。

 

ブラジル、タイ、中国のヘルパーさんたちと話がしたい、と簡単な会話のできる冊子を取り寄せて勉強していました。

「昨日、マリア(ブラジル人のヘルパー)が約束でもないのに飛び込んできて、大変だったのよ。日本人の旦那と大喧嘩した、って。泣き喚くし、ブラジル語で興奮して話すし、なだめるの大変だったわ」と、困ったように、でも何故か嬉しそうに話してくれたこともありました。

 

北海道から上京して、離婚されたお母様とふたりで暮らしたこと、そのお母様を亡くし、やはり車椅子の彼氏と生活したこと、妹が医者で、東北でご主人と開業していること。彼女の語る人生航路はまるで小説のように波乱に満ちたものでした。

 

訪問マッサージを始めて3年目、ナオさんは身体全体の痛みに悩まされます。びわ灸も気功も効かなくなりました。とても苦しかったんでしょうね。ある日訪問すると、いつもより少し明るく言い出しました。

「医者が、手術をすすめるの。それをすると、とても楽になる、って言うのよ」

「でも、血小板が少ないからリスキーじゃない?」

「色々考えた末のことなの。この手術に賭けたいの。きっと元気になって帰ってくるから」

 

でも、ナオさんは帰ってきませんでした。

手術中、大量出血が止まらず、そのまま亡くなってしまったのです。

お見舞いに行った病院でナオさんの死を聞き、その庭で悔しくて泣きました。

 

ナオさんは、手術の前に、お墓を購入していました。無縁の人たちが入る共同墓地です。

「これで安心、誰にも迷惑かけないですむわ」

潔い、ナオさんらしい最期。最後までカッコいい女性でしたね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

うらうらと退院日和

2週間の入院生活を終え、無事弟が退院しました。

病院を出ると桜並木があり、お花見しながらそぞろ歩き。🌸

私は荷物を乗せた自転車を押し、弟と並んで歩きながら、まずはカフェでコーヒーを飲みました。2週間とはいえ、自粛生活を余儀なくされていた彼はコーヒーとアップルパイを注文。

そしてお昼は駅ビルで刺身定食、久しぶりの外出を楽しんでいました。

 

入院中、リハビリを頑張ったこともあり、タクシーで帰ることを選択せず、山の上にある家まで歩くことにしました。途中のマーケットで食材を買って、私は自転車で、弟は徒歩で実家に向かいました。

 

入院はこりごり、これからの生活を食事や運動、薬をどう管理するかなど話し合い、働きの鈍くなった心臓とつきあいながら、毎日の生活をどう送るか、がきょうだいのテーマです。

2人とも医者や薬とはあまり付き合わないできましたが、ここに来て弟はそうもいかなくなりました。

それでも、やれることは何でもやり、納得のいく療法をしていこう、と誓いあいました。むろん私も、です。

 

気がつくと3月はあっという間に過ぎ、桜は満開、春の花々が咲き乱れています。

ざわざわと世界が揺れている気配があります。

私もこれからのことをあれこれと考えながら、移り行く景色を愉しんでいきましょう。

 

 

 

 

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