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たんぽぽ日和

エピソード⑤シノさんの話

懐かしい患者さんの話の第5段。

さあて誰にしようかな、と思ったら、「俺も書いてくれよ」とシノさんの顔が浮かびました。

そうそう、こんな顔。今現在生きているのか亡くなっているのかわかりませんが、忘れられない患者さんの一人です。

 

「あんたが未亡人なら、都合がいいや、俺と所帯を持とうや」

訪問して2回目に、私の話をしたとたん、こう切り出したのにはビックリしました。私が笑い出すと、ムッとした顔で、

「冗談にきまってるだろ、本気にするなよ」

とプイと横を向く。

そう、シノさんを書くにあたって、なかなかの人物であることを証明するエピソードなのでした。(o^^o)

 

さて、一言でシノさんを言い表すと、

「困ったちゃん」。

介護やマッサージの対象者と考えれば、こんなにやりにくい人物はいません。

シノさんは、左マヒの脳梗塞の患者さんというだけでなく、病気を苦にして自殺未遂を起こして、残念なとことにマヒが進行、絶えず痛みを訴えるメンドクサイ(ごめんなさい)患者さんなのでした。

 

ヘルパーさんも大変で、しょっちゅう代える。

「あの人は太ってて汗かきだから代えて」

「話し方がつっけんどんだからイヤ」

こんな調子でしたから、当然マッサージにしても、文句ばかり。

「痛みがひどくなるよ。今日は触らないで」

そう言われたってなあ。確かに痺れがいつもある人は、マッサージしても増幅することはあっても、痺れをなくすことはできません。

ビワのお灸は熱くていや、気功すると気持ちがわるい(何故だろう?)

じゃあ、やめましょう、となるかと思ったら、「話し相手になってくれ」

アラビアンナイトのシェラザードのように、千夜一夜わがまま王に話を聞かせるような気分。

でもこれも治療、と割り切って話をするようになりました。

 

話をするのは大好きだし、話を聞くのも楽しいから、私はじきにシノさんのお友達に昇格しました。^o^

話してみると、彼は人間として面白く、波瀾万丈の人生模様も物語として興味深いものでした。

 

シノさんは、地元の生まれで、3人兄姉の末っ子。ご両親は戦後、書道の先生と三味線の師匠というお仕事でした。お兄さんは俳句の結社をしていて埼玉の方に暮らし、お姉さんは、じつは私に電話でマッサージの依頼をされた方で、シノさんのキーパーソンです。

「姉には、義兄ともども頭が上がらないの。こんな弟の面倒を全部みてくれてるからね」

とシノさんのいうように、まめにご飯を持ってきてくれたり、ときに弟を叱りつける、といった役回りで、私もお姉さんからよく相談を受けました。

 

シノさんは、競馬が生き甲斐。脳梗塞で倒れたのも馬券場でしたから、仕事(シノさんは優秀な原発の機械を点検する技術者として、全国の原発を回っていました。)の合間に全国の競馬場でギャンブルをしていたという筋金入りのギャンブラーでした。(^◇^;)

「それもね、ただの賭け方じゃないの。いつもVIPルームにいて、馬券は端から買うんだよ。全部よ。ついてる時はすごかったなあ」

競馬なんて知らなかった私に、競馬の世界の裏事情から、馬愛について語るシノさんは、もう目がキラキラ。

お姉さんがしみじみ言ってらした。

「ギャンブルさえやらなかったら、仕事のできる頭のいい人間なんだけど。女房子どもだって出ていかなかったのに」

そうだろうなあ。(^^;)

 

シノさんは、お馬の他に好きなものがありました。

「子供の頃の夢は、生物学者。とくに昆虫が好きで、家にどれだけ標本作っていたかなあ」

だから昆虫のこと、植物のこと、じつに詳しかった。ある日、家にあった昆虫図鑑を持っていくと、飛び上がって喜びました。

一緒に散歩に行ったことがあって、その時は地面に死んでいた蝶について教えてくれました。

「この蝶は渡り蝶で、渡りの途中で死んだやつだ。羽の下が赤いのは婚姻色だから、交尾したあとに生き絶えたんだろうなあ。」

蝶の名前は忘れてしまったけれど、この日はトンボや蜂、花の名前も詳しく解説してくれて、シノさんが、困ったちゃんじゃなくて、とても素敵な人物に思えましたっけ。(o^^o)

 

医者とも仲がわるく、どれだけのバトルを繰り返したことか。

「頼んでいた薬を処方してくれないんだ。医者代えたいけど、骨折ってくれない?」

骨折ってもいいけど、どんなお医者さんに頼んでも、うまくいかないだろうなあ。こんなわがままな患者、嫌がるだろうなあ。

 

そんなある日、ケアマネから電話で、

「緊急入院しました。私もまだ経緯がわからないけれど、しばらくマッサージお休みしてください」

自宅で倒れたそうで、そのままケアマネから連絡はありませんでした。

大分経って、シノさんから震えたような筆跡で手紙が来ました。

入院しているけど、まあまあなんとかやってる、今までありがとう、という心のこもった感謝の手紙でした。シノさんのことだから、入院生活大変だろうなあ、でも頑張って、と心の中で応援しました。(病院名は書いてありませんでした。)

 

以前シノさんに、もし元気になったら、何がしたい?と質問したことがありました。

「もちろん、お馬さんだよ!」

それから、少し寂しそうに、

「大きくなった娘と息子にも会いたいなあ」

 

 

 

 

ハナノノノノハナ🎵

ハナノノノノハナ ハナノナナアニ?

ナズナナノハナ ナモナイノバナ

 

詩人の谷川俊太郎の「言葉あそび歌」から。

花野の野の花には、雑草ひとつひとつに名前があります。

スマホのアプリをかざすと、ちゃんと名前が出てくる。中には分からないものもあって、大雑把にアブラナ科50%なんてのもあるけれど、多くはその名前を教えてくれます。

名前を確認し、実際の野草に触れ、採取してお茶やお酒にしたり、薬草を作ったり、ゆくゆくはお菜(おかず、はお菜と書くんだなあ)にしよう、とつよく思うたんぽぽさんですが、写真のように玄関に生けるのも素敵!

野草好きの方の中には、草木染めを愉しむ人もいるし、押し花やドライフラワーを作る人も。

スケッチもいいなあ。

 

今日は、雨の中をUさんのお宅へ。

Uさんは、家に来られる患者さんでもあるけれど、全身エステのサロンをご自宅でやっているのです。

初めて体験するエステの世界。ワクワク^o^

ビニールの中にすっぽり包まれて、岩盤浴のように汗をたくさんかきながら、フェイスエステをしてくれたあと、(ここまでで1時間)ローションマッサージ、ハーブボールというハーブを入れたボールのお灸のようなもので全身をこする。もう至福のひとときでした。

 

このハーブボールの中には、様々なハーブが入っていて、えもいわれぬ香りがします。

ビワの温灸のようでもあるけれど、温めたボールはじつに心地よく全身の流れを整えてくれました。気持ちい〜い!^o^

Uさんは、素晴らしい施術師でした。私はすっかりその手技とサロンの虜になってしまった!

施術時間は2時間半。また来よう。(o^^o)

 

雨の中を、ぽかぽかになって帰った日曜日。

さあ、明日から頑張るぞ!!

ハルノノゲシ見つけた!

写真は、「ハルノノゲシ」。

Facebookの野草倶楽部に入会してからというもの、楽しくて仕方がないたんぽぽさんです。

 

この、タンポポを小さくした花に、背の高い茎、ロゼット状の葉は細長く、どこにでも見ることのできるハルノノゲシは、タンポポの仲間ですが、じつはすごい薬効があります。

この葉を干してお茶にすれば、万能薬の効果があり、肝臓や腎臓、心臓の薬、精神安定剤にもなるというのです。

「今日は精神的に疲れたので、ハルノノゲシ摘んでサラダにして食べました」

なんて書き込みがあるので、

「どんな味ですか?」

と聞くと、

「少し苦いけど、疲れた時はこれが効きます」

雑草、なんて呼べない!

 

そのほかにも、ドクダミ、イタドリ、オオバコ、タンポポ、ネズミモチ(初めて聞きました)など、薬草とするだけでなく、普通に食材として食べている方々が投稿されていて、もっぱら質問ばかりしている私ですが、そういう野草を愛する人たちと繋がっているだけでワクワクしてしまう毎日です。

 

そんな私が、スマホをかざすだけで、草の名前が出てくるアプリを入れたのですから、面白くてたまりません。

草の生えているところでかざすと、いくつもいくつも名前が出てきて、%でその正確さを評価するのです。例えば、エノコログサ80%はかなり正しい。それにカメラのシャッターを押すと、ウィキペディアに繋がって、その植物の情報がわかるようになっています。

すごい!^o^

 

ビワの葉やマコモ、ひまし油、ドクダミなど、その力を信じて仕事をしている私ですが、いやいや、すぐ足元にもしかしたらもっとスゴイ力を持った植物があるのかもしれない、と、この頃は道端の草たちに興味しんしんです。

 

でもまあ、膨大な情報に押し流されず、ひとつひとつ知っていきたい、と思いながら草を見ていたら、見つけたのが「ハルノノゲシ」。

スマホをかざすと、70%、多分これだろう、と思うのですが、まだまだ確認だけ、摘んでサラダにしようとは思いませんが、ゆくゆくは食べてみたいと思うたんぽぽさんなのでした。^o^

 

ちなみに、ハルノノゲシにもちゃんと花言葉があるんですって。

「旅人」

「見間違っては嫌」

「幼い友」

 

水無月にお弟子さんがやってきた!

写真は、今野草にとても凝っているたんぽぽさんが、Facebookの野草倶楽部で見つけた美しい野の花たちの写真です。

 

アカツメクサ、アザミ、その他知らない草花がてんこ盛りです。^o^

もう毎日毎日草の話で盛り上がり、いつか野で摘んできた草で食卓を飾りたい、と真剣に考える私。(o^^o)

 

ビワ灸やマコモ、ひまし油などを治療に使っている一方、びわ茶やドクダミ茶、ハトムギ、ニンニク、高麗ニンニク、松酵素などなど、私の周辺は植物だらけ。これから梅干し作りも始めます。

歯医者以外医者には行くことのない私ですが、

とくにビワ(エキス)は万能薬で、昨夜もエヘン虫ぽかったので喉にビワを塗ってタオルで首を巻いて寝ました。ちょっとした傷や火傷、痒みにもビワエキスで治してもらいます。

手に負えなくなると、気功(量子波)の出番です。このポテンシャルは無限大。私の仕事を支えてくれる大切な力です。

 

その他は、マッサージ、按摩、指圧の技術。

これは、長生という学校で学びました。20年前、2人の子ども(20歳の息子と9歳の娘)を育てながらの学生生活。大変だったけど、楽しかったなあ。ここで学んだ事が治療院を開くベースになりました。

 

さて、患者さんでうちに来られたTさんは、マッサージとビワ灸にとても興味を持たれました。ご自分でもやってみたい、やれるでしょうか、の問いに、

「やりましょう!教えますよ!」

と私。こんな人が来ることを、どこか待っていたのかもしれません。

 

Tさんは、お灸の道具一式を購入、その使い方から、マッサージを習い始めました。

先生となった私なりのマッサージのやり方を絵にして紙に書き、ひとつひとつ教えていきます。まだスタートラインに立ったばかりですが、Tさん、なかなか素地がいい。

私自身褒めて伸びる人ですから、Tさんはどこまで伸びるか楽しみです。^o^

 

ビワのお灸とマッサージ習いたい人、この指止まれ!☝️

 

 

エピソード④まつじさんの話

写真がなくて、イラスト描いてて、まつじさんってどんな顔してたかなあ、と思い浮かべながら、でもこんな感じ!となりました。

まさにイメージ通り。

 

まつじさんは、10年ほど前に亡くなりました。

70代で、後遺症の少ない脳梗塞の患者さんでしたが、そろそろ認知症が始まっていましたね。

でも、この年代の男性には珍しく、おしゃべりで陽気。通っていたデイサービスでも人気者だったそうです。

 

とにかく、この方を思い出すと、愉快な話ばかりが浮かびます。腕白だった少年時代の話、集団就職で東京へ出てきてから、横浜で小さな工場を立ち上げ、その会社がバブルで面白いほど受注があり、今でも家で人を雇って仕事を続けていること(社長さんです)、戦争中は小学生で茨城の山の中で農家をしていた実家に東京からの疎開児童を預かり今も交流していること、などなど。

 

茨城の地図でもなかなか見つからないほど山奥の、結構大きな農家の次男坊として生まれたまつじさんの実家の話は、とくに忘れられません。

田んぼも畑もありましたが、そこで栽培するのは、全て家で消費するための作物、牛や馬は耕作のため、そこで生活する祖父母、両親に子ども3人、全て家の担い手です。味噌や醤油、油だって手作り、綿も栽培していて紡ぎ、染色だけは他に頼むそうですが、家で織って反物にした布は家族全員の着物や布団になります。まさに自給自足の生活です。例外は炭と卵で、炭小屋で焼いた備長炭は貴重な現金収入で、卵も里から村に登ってくる担ぎ屋のおばさんが買い取って、干した魚などになったそう。

1里(4キロ)離れた尋常小学校に行くと、

「農家の子は皆んな着物、勤め人の親の子は洋服だから、羨ましかったよ」

 

そんなまつじ少年は、おばあさん子でした。

「その婆さんが自慢だったの。村の寄り合いはよくうちでやったんだけど、中心に座るのは、爺さんじゃなくて、婆さん。(たしかおじいさんは入婿)婆さんは村の長老であり、ご意見番でなんでも知ってた。村長さんも一目置く人でね。俺はいつもその膝の中に座ってたよ、偉そうに。(笑)」

おばあさんは、自分の部屋のなかに所狭しと薬草を干していて、時間があれば薬研で薬を調合して、村の人に渡して(売って?)いたそうなのです。健康相談にも乗っていたそうなので、村の(無医村)の心強いお医者さんであり、薬剤師といった人だったのでしょう。いや、シャーマンか。(o^^o)

このおばあさんの話は、まつじさんの話の半分を占めるくらい沢山のエピソードがありましたね。ああ、私はまつじさんの一代記が書けそう。^o^

 

ある雨の日訪問すると、まつじさんは家の中を散歩していました。歩かないといけない、と言われていたから、ズンズン歩いています。

後ろからついていくと、階段を降りていくところ。(まつじさんの家は2階に玄関があり、1階に小さな工場があるのです)

トトト、ドッシーン!まつじさんは階段を、一回転して落ちてしまいました。

目の前の出来事は、様々な思いを私の頭の中に巡らせました。

(やばい!責任問題!骨折!入院!救急車か!)∑(゚Д゚)

「まつじさん!大丈夫ですか?」

駆け寄ると、まつじさんは身動きしません。

台所から奥さんも出てきて、

「どうしたの?」(この方も動じません)

しばらくして、むっくりとまつじさんは起き上がり、

「えへへ、びっくりしたろ?」

なんと無傷でした。驚かさないで〜!ホントにビックリした!(・・;)

 

そして、まつじさん宅に通い始めて5年目の春、訪問すると家の前に黒塗りの車が停まっていました。

奥さんが出てきて、

「あれまあ、動転してて、先生の所に連絡するの忘れてました!一昨夜、救急車で運ばれて亡くなっちゃったの!」

えー!嘘!(;o;)

病院から戻ってきたまつじさんは、棺に入って和室に寝ていました。本当に眠っているようでした。

まつじさんは、大好きな大福を喉に詰まらせて亡くなったのです。

「私が洗い物をしてて、後ろのテーブルで大福を食べてたんだけど、振り返ったら倒れてて・・」

 

「いやー、面目ない。こんなカッコ悪い死に方しちゃったよ」

と、まつじさんの声が聞こえてきそう。

そういえば、まつじさんは、いつも一口で和菓子でもなんでも食べてたなあ。

 

大好きだったよ、まつじさん。会えなくなって寂しいけど、天国でおばあちゃんと仲良くね!

 

 

 

 

 

 

 

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